父がまだ元気だったころ

ゲームセンターにある麻雀格闘俱楽部にハマっていた時期があった。

その麻雀格闘俱楽部の筐体が並んでいる端っこに、ぽつんと一台「天下一将棋会」という筐体があった。

タッチパネル式で日本将棋連盟公認、藤井聡太がプロになる前、将棋が静かなブームの頃にあったゲームだ。

静かすぎるブームだったのだろう筐体の画面は奇麗なまま、指紋一つ無かった。

 

「将棋か懐かしいな」と思って100円玉を入れてやってみると意外と面白かった。

小学生以来の久しぶりの将棋、エフェクトも面白くワクワクしながらやっていた。

童心に帰るってああいうことを言うのだろう。

 

小学生のころコマの動きを覚えて、父に挑んだ事がある。

飛車角落ちでコテンパンにやられてもう二度とやるか!と思ったあの頃と比べるとちょっと強くなった

そういう思いもあってか将棋盤と駒を買って、父と将棋を指すようになった。

 

駒落ちはなし、正々堂々まったなし、結果はコテンパンにやられた。

その後も暇があれば対局をし、そのたびにコテンパンにやられた。

悔しくて本を買い、ゲームセンターで練習を繰り返してようやく一勝をもぎ取った。

「俺も焼きが回ったな」と負け惜しみを言う父に「息子の成長を喜びなさいよ」と文句を返した。

元気なうちに勝ったのはその1回だけだった。

 

病棟から父を出してもらい、談話室で一緒にお菓子を食べ、コーヒーを飲む。

将棋盤持ってきたからやろうぜと言って対局をした。

自分の知っている強い父は盤上には存在しなかった、少し片鱗を見せるも後が続かない

頭の回転が鈍ってしまったのだろうか、集中力が続かないのか、難なく勝ってしまった。

悲しかったが無理に喜んだ、負けず嫌いの父は不貞腐れた顔をしていた。

もう一度やろうと誘ったが「いや、疲れた」といって父は断った。

 

父は残ったお菓子を食べながら

「車で来てるのか?」

「うん、まぁ一時間かかる」

「ペーパーのお前が成長したな」

「おかげさまでゴールド免許で運転してるよ」

 

窓から夕陽が差し込んできた、時計を見ると4時を過ぎていた。

「次いつ来るんだ?」

「来週かな、明後日母さんが来るよ」

「そうか、帰り気をつけろよ」

「安全運転しかできないから大丈夫よ」

「もらい事故ってのもあるぞ」

「そりゃ防ぎようがないじゃん」

「だから気をつけろって」

「どーやって」

「どーやってだろ、ま、戻るわ、気をつけろよ」

 

病棟のインターホンを押して看護師さんを呼び

すいません後宜しくお願いしますといって父を病棟に戻してもらった。

 

トランクを開けて将棋盤を放り込む

エンジンをかけカーナビの設定を自宅に切り替える。

将棋で掴んだ2勝目はこれか・・・元気なうちにもっとやっておくんだった。

日差しで暖まった車内が冷えるまで、重い頭をハンドルに預けていた。