「真っ直ぐな高校生レンが牧師を改心させる話(笑)牧師が主役じゃん!」
ってな(超意訳)植木先生のお言葉通り、どこぞのフェリペさんなまっつpart2な「フットルース」(笑)

成長譚として見ると、実際のところフェリペ二世やイザベラ王妃の振り幅が最も大きかった「ドン・カルロス」ですが、作品の描き方としてはカルロスが問答無用の主役でした。
全ての人の悩みを背負って、動き、最終的に自分の成長(の最後の一歩。カルロスの成長はたった一歩、僅かな、そして遥かな一歩)を遂げる物語なので、皆の悩み苦しみ=カルロスの悩み&原動力な訳で。
描かれる全部のストーリーしょって立ってる訳です。
全てが彼に(心理的にも)集約されるべき要素として描かれるので、むしろザ・タイトル通り、主役としても比重の重い部類だよな、と感じていました。
恋い焦がれた運命の恋人や彼が無償で愛した国民が、彼を後押しする「最後の一歩」シーンがハイライトだし。

で、「フットルース」。
とても似ているけど、決定的に違うのは、主人公レンの心の傷、そして一歩を踏み出す‘レンの為の’自己解放の場面やナンバーが、ないこと。
カルロス初登場の銀橋のナンバーや、異端審問のナンバーに相当するものが。
主核になる‘親子の物語’に関わる他のメンバー、アリエルやムーア牧師や母親Sには、あるんですよ。大なり小なり。
レンにあるのは、溢れる思いのまま、周りの人々に語りかけるナンバーばかり。
その中で、彼は成長していく。
他人に働きかけ、励まし導こう(というより共に歩こう、というスタンス)とする中で、自らを成長させていく人物です。
カットされた3曲にその要素があるのか知りませんが。
ムーア牧師のハイライトナンバー‘NEVER’が無い(人づて情報・映画未見)のは非常に残念ですが、あのタイミングなら、普段の宝塚歌劇の作品なら、ムーア牧師から引き継いで、レンが心情を歌い上げるシーンです。
まさに牧師主役(笑)

レンって役は、成長譚の主役として、宝塚のトップが絶対たる‘トップ様の主演’として魅せきるには、実はかなりハードルが高い代物だな、と感じました。
低音で響かせる曲が多いのも女性には本来はキツイ。しかも動く動く!
カルロスの心理を方々に丁寧に繋げ、全てを吸引し纏め上げたのも素晴らしかったけど。
影で成長する主人公レンを「当たり前」に、華やかに力強く主役として描いた、
全てを掌握した音月桂に、乾杯。