「江~姫たちの戦国~」の第20話、面白かったですね。
時々しか見ていないので、全体の物語の流れなど分からないのですが、当初、岸谷さんの秀吉がそりゃーもう嫌らしくて、しかも狙ってそうなのか脚本の狙いとズレて過分にそうなってるのか、私には微妙に感じられて、とっても嫌なインパクトを残しておりました(笑)
秀吉の内包する複雑な魅力を、描いているつもりで、ただ嫌らしくなっちゃってたら、辛いな。
この秀吉に女として精神的に屈服する茶々は見たくないな、って。
また宮沢りえの茶々が気高くて魅力的だから余計。
でも、だんだん、このカップルはそうそう無いくらいのマッチングかもしれないと思うようになりました。
ひらすら俗者の成り上がり者の秀吉とストイックな誇り高い悲劇の姫君茶々。
何でも持っている権力者と誇りだけで渡り合う少女の構図ですが、最終的に、シンプルな人間対人間の描き方だったので、非常に説得力がありました。
というか、この秀吉は最大権力者でありながら、どんな相手でも最終的に人間対人間の語らいをするのが最大の魅力じゃないかと思います。
秀吉の愚かな男の純情にほだされた茶々のようにも見えますが、それだけじゃない、他の男が同じアプローチしたって、ここまで茶々が恋心に灼かれる事は無かったでしょう。
親の仇を愛するというタブーは、強い恋の妙薬ではありますが、ならなぜ、それをも踏み越えたのか。
汚泥と澄んだ水のような二人ですが、惹かれあうのが良く分かります。
なんとも貴重な澄んだ水。純正の美しさと脆さ。
汚らしい泥には、たくさんの毒も養分もつまっています。この秀吉という男は良くも悪くも物凄く豊かな泥です。
美しい水が、自分には無い浅ましい逞しさを持ち人間の欲深さをてらいなく剥き出しにして生きる泥に惹かれた。
作中の三姉妹の中で、最も線が細い印象なのが茶々です。
水は、自分が穢れることを承知で泥を受け入れることを選びました。
自分を冒す穢れの中に、この男からしか得られない豊かさを見極めたのでしょう。
また、秀吉がお市の方の身代わりでなく、きちんと茶々と向き合っていたのにも驚きました。
コンプレックスと憧れの象徴として彼女を求めたのではなく、そこを出発点として、少女の葛藤に触れ、今までの自分の来し方にまつわる総括として、人間としての彼女をきちんと求め受け入れた。
茶々が秀吉によって変容したように秀吉も茶々によって変容したのがきちんと描かれていました。
人間的に見れば、成長です。
お互いはお互いに、これ以上ない肥やしです。あまりに代価の大きい。
おぞましさを伴う恋の成就、純愛だけでない業の深さを帯びながら、二人がお互いに、自分が生きる上で希求してならないものを相手の内にだけ見つけ、求め合った。
当事者にしか分からない幸せ。
ゾクゾクしましたね、近年に無いくらい。
いやぁ・・・業の深い組み合わせです。
茶々は憎んでいる間はかなわなかったのに、愛し受け入れることで最大の復讐を果たすのですね。
少女が男を飲み込み女に孵化し、無邪気な王者は人になった。
茶々が聖性を捨て、無敵だった秀吉が唯一最大の弱点を背負った瞬間でした。
おぞましい純愛に、お互いに自分を侵食する相手を求め受け入れたグロテスクな幸せに、むちゃくちゃゾクゾクしました。
・・・・えーっと、何が何やら、まとまりませんが(;´▽`A``
鉄は熱いうちに打て!ってことで書き逃げ~![]()