音大時代の恩師が天に召された。
昨年の春に余命宣告を受けられてからも、見舞いにくる生徒のピアノを聴いてはニコニコ。元気な日には作曲もされていたそう。
小学生の時に出会って、一度はピアノを放り投げた私を高校生の時にまた拾ってくれた恩師。手が小さい私は「歌いなさい・楽しみなさい・手が足りなかったら頭を使いなさい」と何度も言われたっけ。歌うことを全身で教えてくださった先生。ちょっぴりご機嫌が悪いと突然眼鏡ガシガシガシーって拭いて、レッスン室の窓をあけて「うーん、いい天気だ!」とかってピアノ弾いてる私に話しかけたり。こっちは必死で弾いてるのに(笑)
最初の出会いは横浜。師匠(ちっこい時からの先生)のところで見ていただいたのがご縁。その後、私は暫くピアノから離れちゃうんだけど、突然「やっぱ音大行く」って言いだしたのをニコニコで受け入れてくれて。その割にちゃっかりご自身はドイツに交換教員として1年間行っちゃって、亡くなられた梅谷先生にひょいっとあずけて、受験直前までは梅谷明先生のもとで足りない分のテクニックをゴリゴリに修行させられてた。梅谷先生もレッスン中はものすごい厳しかったけど、普段はすごく優しくてチェルニーの40も満足には弾けなかった私を見放さずに導いてくださった。受験前の夏、先生はドイツから戻って、師匠と両輪で私を音大につっこんでくれた。
受験生の時は「ともえちゃんは家近いから後ろの子のレッスン先にしちゃうんで、待っててね」って、「いや、先生、私も1時間半かかるんですけど…」みたいなことはザラ。大学の時はラストのレッスンだと入間の校舎から先生のご自宅まで、先生の車で何故か私が運転手。先生のご自宅から電車で家に帰ったこともあって、よく奥さまに呆れられてたのもいい思い出です。
ピアノの門下合宿サボってホルンの門下合宿行ってたのバレても怒られなかったなぁ。ただ、先生があんまりに時間にルーズだったんで大学生の私が泣いて抗議したことは数知れず(笑)。大学2年の時の私がちょいちょいレッスンをサボるようになったら、私の友人たちに「今日、ともえちゃん見てない?」って聞いて歩いてたり、オーディオルームまで探しに来てくれたり。手のかかる弟子でごめんなさい。
迫田時雄先生、お疲れさまでした。本当にありがとうございました。
おやすみなさい。暫くしたらまたお空で一緒に缶コーヒー飲みましょう。今度は「ピアノ弾きたくないから差し入れ持ってレッスンに行く大作戦」じゃなくて、一緒にたくさん思い出話をしましょう。