以下,過去にFacebookのノートに記したものを加筆訂正の上で再掲します。

 

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私の音大時代の専攻楽器は当然のことながらピアノである。高校生までは趣味の範囲だったピアノは、素晴らしい師たちとの出会いにより気付いたときには仕事になっていた。もちろんピアノを指導する立場を選択したからにはピアノについてできるかぎりの研鑽は必要だと考える。そのうえで今回は別の楽器を弾くことについて思いついたことを文字に起こしてみることにした。

 

私はこどもの頃から「器用貧乏」の名が相応しい人種だった。割となんでもちょいちょいっと手をつけると、人並みか、それよりほんの少しだけうまくいく。よって絶対的に努力が足りない。要はお尻に火がついた時だけ頑張るタイプなのだ。なんでもある程度カタチになってくるとすぐに別のなにかに興味関心が移動する。おかげで浅いけれどもそれなりに広い範囲での知識だけは身につくわけだ。そんな私が生涯かけて(と、そろそろ言っても良い頃合だろう)続いたのが唯一「音楽」なのである。

 

ご存じの方も多いと思われるが、私は「専攻楽器以外の楽器」が大好きだ。過去にはフルート、エレクトーン、ホルン、声楽、お琴・・・とピアノ以外の楽器を習い、自室にはそのほかにも自分で演奏できない楽器もゴロゴロ転がっている。最近は縁あってチェロに手を出した。この様々な習い事、実は本人的にはちゃんと習うべきタイミングにまるで誂えたかのようにその楽器を始めるきっかけがあったのだが、それはさておいて。

 

私は自分がピアノを教える立場になってからもちょいちょい他の楽器のレッスンを受けてきた。それも初心者、初級者として。性格的に「かけっことお習字以外は人に遅れをとることがイヤ」な私は最初はどれも苦心する。なんたって今まで触ったこともない楽器だ。音楽を生業にしている以上、そういう楽器が世の中に存在することを知らないわけはない。それなのに「できない」のだ。持ち方がわからない、音が出せない。当然、最初のうちは音を並べることで精一杯。とても曲になんかならない。それどころか習ってもちっとも上達せずに,残念ながら今も単なる横好きのままになっている楽器の方が多い。それでも私はピアノ以外の楽器に触れることが大好きだ。

 

レッスンで言われることはそのまま自分が生徒達に投げかける言葉とほぼ同じである。楽器の特性や奏法に違いはあれど、やはり基本的に共通する部分はとても多い。注意されれば、おとなであってもそれなりに凹む。いや、おとなになっているから余計なのかもしれない。正直、自分が練習不足なことを棚に上げるどころか天井裏に隠したい気分で「だって・・・」という気分になることもしばしばある。念のため明言しておくが、私が過去に出会ったどの楽器の先生もみな一様にお優しく「大人の趣味」に対して必要以上と思われる内容を求める方はいらっしゃらなかった。それでも「できること、できそうなこと」についてはきちんと教えて下さったし必要以上に甘くもなかったように思う。要は習う側の受け止め方なのである。

 

さて、いよいよ本題である。

 

楽器を教える立場の人々は、自身の専攻外の楽器に触れる機会を作るべきだと最近殊更に強く思うのだ。生徒たちが「どうしてできないのか」なんて自分がやってみれば一瞬で答えが出る。「できないからできない」のだ。例えば「力を抜いて」と言われても、力がどこにどうやってはいっているのかすらわからないなんてことはザラにある。できて当たり前、いつの間にかできていたなんてことはまずない。

 

求められたことをうまくできない時も、専攻楽器だと「自分はこれをできなければいけないのに!」というある種強迫観念のようなものすら湧いてくるし、できない自分を酷く恥じたり落ち込んだり、時には自身を罵倒したくなることもある。少なくとも私はその傾向が強いように思う。むしろ割とうまくいったときでさえも妙なコンプレックスのせいで自己評価が低いので始末が悪い。

 

指導者になる人というのは専攻の楽器についてある一定の年齢の頃には人よりできて当たり前だったケースが殆どであろう。もちろん、その背景には(期間は人それぞれであったにせよ)並々ならぬ努力があったわけだし理解を深めるための学習も積み上げられてきたはずである。他のことなんてしてる時間的な余裕はないと言ってしまえばそれまでだ。だが、私の知る素晴らしい音楽家、演奏家や指導者の中には複数の楽器を操りぞれぞれの特性や音に精通している向きも決して少なくはない。

 

専攻外楽器を学ぶことによって(私のような「町のピアノの先生」であっても)自分の指導法や声かけについて客観的に振り返ることもできるようになる。またより具体的な説明や指導が可能になるだろう。それにより先に述べた通り「できない」というネガティブな感覚を持ってしまう生徒に対するアプローチがまず劇的に変わる。要はこちら側の手法も選択肢が増えるのだ。生徒に対しての「練習してね!」という言葉は私たち指導者の常套句である。そして生徒さんにとって,ある種絶対の呪文でもある。だが、現実問題として、多くの人は練習したからといってすぐに良い結果に結びつくとは限らないのである。

 

専攻外楽器を学ぶことは自身の音楽の幅をも広げるし、またしつこいようだが生徒達へ還元できることが多くなる。(言葉は悪いが、ヘタクソな)生徒側の立場に立てることは、とても強みになるのである。そうして、それまでよりも明らかに相手に対してかける言葉も選べるようになる。

 

自分側の立場からしても、新しい世界は何よりも「楽しい」のである。うまくなるために自分は何をしたらよいのかを学習者の立場として考えることもまた一興。なんの下地もないからこそ笑い話のような失敗も起きたりする。

 

今から専攻楽器を変更するなんてことは天地がひっくり返っても無理な私が、みなさんにもそっとオススメしてみる。

 

「趣味で」楽器を習いに行こう!一緒にヘタクソを楽しもう!と。