理学療法士の独立奮闘記

 

第2話 ヘッドハンティング?

 

理学療法士として10年働き、しびれと痛みの治療に専念するため、東京都板橋区に施術院を開いたものの、集客目的で始めた、シニアエアロビクスのインストラクター、転倒予防の講師などの仕事に追われ、治療の時間が激減して困惑しているともぺぺです。

 

開業権を持っていないのにも関わらず独立した理由は、一人の方をじっくりしっかり治療していきたい云う思いの他に、平成28年末に起きたヘッドハンティング事件が大きく影響をしていた。

 

平成19年に理学療法士として世に出てから、救急病院、回復期病院、訪問リハビリなどを6年経験し、その後、整形外科クリニックに移り4年が経過した平成28年10月、整形外科病院の事務長をしていた義父から、知り合いの整形外科医がクリニックを開業するのに合わせ、自分に手伝ってもらいたいと云う話を持ち掛けてくれた。

 

今の職場は自宅からも近く、院長も他のスタッフも、皆が気さくに話が出来る、風通しの良い所であったので、人間関係には何も不満はなかったが、自分自身の立場の置き方に不安を抱えていた。

 

整形外科クリニックでの外来リハビリでは、慢性的な症状が出ている方の継続的なケアと、痛みや体の不調が出て直ぐに受診された患者様の急性期的な治療をしなくてはならない。

 

そのため、ある程度状態が落ち着いてきた患者様は、リハビリを終了にして、新規の方の対応をしていかなくてはならない。

 

理学療法は担当性で、治療は1回20分。

理学療法士は1日に22~24人の患者様しか対応が出来ない。

1週間では、いいとこ100人前後である。

 

他の3人の理学療法士は、急性期の患者様の受け入れをしっかり出来ているが、自分はと言うと、状態が落ち着いた患者様でも、1ヶ月後にもう一度チェックさせて下さいと、定期的にフォローするようにした結果、そのような患者様が150名を超え、1ヶ月先まで予約が埋まってしまう状況となってしまった。

 

新規の患者様はどんどん受診してくるのに、自分だけが柔軟な対応が出来ていなかった。

自分の休み時間を削り、新規の方の対応をすることもあったが、明らかに他の理学療法士に負担を掛けている状態は変わらなかった。

 

そんな不安と、週4日の常勤で年収420万と、悪くはない条件を提示してくれたので、オープニングスタッフとして移ることにした。

 

数日してから、勤めていた整形外科クリニックの院長に話をし、年内での退職を話すと、あっさり許可を出してくれ。

しかし、後で看護師から、院長がかなりショックを受けていたと聞かされ、自分の選択が良かったのか不安に思った。

 

平成28年11月になると、休日を使い、オープニングスタッフとして集められた看護師や医療事務の方と集まる事が増えた。

 

特に、自分の今までの経歴が称賛され、クリニックのレイアウトを設計士と打ち合わせたり、導入する物理療法の器具を業者と交渉したりと、かなり責任ある仕事を任された。

 

そして、12月になり、内装工事が始まった。

自分が週4日の勤務となるため、他の日に勤務してくる理学療法士も決まり、後は、オープンの1月8日を待つばかりとなった。

 

週4日の勤務にしてもらったのは、整形外科クリニックに移ってすぐに始めた、「放課後等デイサービス」での、バイトを増やしたかったからだ。

放課後等デイサービスでは、脳性麻痺や染色体異常を持って生まれた子供達の、障がいや成長を一緒に考えながらリハビリを行っている。 

 

そしていつか、発達や成長において、助けを必要としている子供達の支援が出来る場を作っていきたいと密かに思っていた。

 

12月も半ばを過ぎ、町はクリスマスカラーで染まっていた12月20日、開業する先生からラインが入り、オープンを1ヶ月先送りすると伝えられた。

 

そして、ここから1ヶ月の間に、数々の出来事があり、独立する事を腹に決めたのであった。