今日は乙ゲネタは関係ありません。
先月、私が大好きだった祖母が亡くなりました。
明日は四十九日の法要です。
今日は大好きだった祖母の話を少しと、たくさんの「ありがとう」を書きたいと思います。
「死」に関しては、様々な考えがあると思いますので、苦手な方はこちらでバックをお願いします。
大正生まれの祖母は90歳でこの世を去った。
母親とは幼いころに死別。
父親とも訳あって離れて暮らしていたので、小学校にもろくに行くことができず…
親戚の家で辛い思いをしたり、奉公に出されたりと、とにかく苦難の青春時代を過ごしていたのだそう。
やっとの思いで父親と一緒に住むようになったとき、戦争が始まって、雨が降るように爆弾が落ちてくる中を必死に逃げ回ったって聞いたことがある。
身体が弱かった祖母は私の母親を産んでから、ひどい喘息になり生死をさまよったこともあるらしく、とにかく苦労が絶えない人だった。
そんな祖母は私や弟を心から愛し、本当に大切にしてくれた。
どんな時も味方になって応援してくれた。
何の贅沢をすることもなく、自分のことより人のことばかり考えて、これでもかというぐらい、惜しみない愛情を注いでくれた。
決して見返りを求めることなんかしない、まさに「慈しみの愛」に他ならなかった。
元々、別々に住んでたのだけれど、私が高校生のときに脳梗塞を患って左半身が不随になり、祖父とだけでは暮らしていけなくなったので同居することになって。
母はパートに行きながら介護をしていたので、私も一緒にお風呂に入ったり歯を磨いたりするのをよく手伝ったっけ。
その頃、祖母は軽い認知症にもなったのだけれど、とにかくよく笑うし可愛くて仕方なかった。
幼いころからずっと苦労してきた祖母は身体は弱かったものの、すごく芯の強い人だったのだそう。
自分はいつ死ぬか分からないと思っていた祖母は、自分がいなくなっても生きていけるように…と母をとても厳しく育てたのだとか。
ずっと気を張った状態で生きてきたのだろう。
だから認知症になったことで、今まで背負ってきた「鎧兜」を全部脱ぎ捨てたようだと母はよく言っていたのが忘れられない。
まるで子供のように無邪気でとっても可愛くて、そんな祖母も私は大好きだった。
だからしょっちゅう祖母のベッドにもぐりこんで一緒にお話ししたり(弟も笑)、車いすを押して祖母の好きなお菓子を買いにスーパーに出かけたりして毎日がすごく楽しかった。
そんな生活が10年ぐらい続いたころ、ずっと介護をしていた母がヘルニアになりこれ以上一緒に住むことができなくなって、祖母は施設で暮らさなければいけなくなった。
幼いころに肉親と縁の薄かった祖母はまた家族とはなれて暮らすことが不安で仕方なかったんだと思う。
それを一番よく分かっていたからこそ、母は毎日のようにお昼の食事だけは…と介助をしに施設に行っていた。
施設に入居してからも何度も入退院を繰り返し、その度に奇跡の復活を遂げてきた祖母だったけれど、今回ばかりはかなわなかった。
いよいよお別れが近づいていたとき、母と何度も涙したのだけれど、シンデレラの「花巻」のお話を読み返して。
遼一がヒロインに言うのよね。
「人を愛するってことは…その人の死を覚悟するってことなのかもしれないな」って。
それを、母にも話した。
私が読んだ、大好きな作品の中に書いてたんだけどねって。
そしたら、静かにうなずきながら聞いてくれて、何度もその言葉を反芻してた。
それで、めそめそしてばかりしないでちゃんと覚悟を決めて送ってあげようって母と話し合って決めた。
そこから、一緒に住み始めて撮りまくった写真を整理していっぱい印刷したりして。
娘っちを連れてしょっちゅう施設に行ったり、病院のお見舞いにも行ってたから、娘っちとの写真もいっぱい印刷した。
これまたシンデレラの影響なんだけど、「燃え上れ愛のフェスティバル」で、遼一とヒロインの手を写真に撮るって描写がすごく好きで。
だから娘っちと祖母が手をつないでる手だけの写真もこの時何度も見返したりして覚悟を決めた。
祖母が亡くなる日の朝、病院へ会いに行って「おばあちゃん待っててね」っ言って仕事に行ったからだろう。
私の仕事が終わる夕方までちゃんと待っててくれて、最期は母と一緒に看取ることができた。
葬儀は、家の近くではなく、祖母が祖父と50年住んだ家の近くで親族のみでとり行われることになって。
祖母を会場に運ぶ際、運転手さんが、「こちらに50年も住まわれてたなら家の前を通って会場に行きましょう」と言って、祖母が昔住んでた家の前を通って下さった。
運転手さんのお心遣いがどれほど嬉しかったことか。
祖父の時は亡くなったのが大晦日の朝だったので、この担当者さんとは大晦日から三が日にかけてずっと一緒に過ごしたのよね。
このお仕事は朝も晩も、休日どころか正月でさえいつ呼ばれるかわからないんだって。
夜中に病院にお迎えに行く時もあるから、睡眠時間だって確保されないのはしょっちゅうらしくて。
もちろん、通夜の日の仕事が終わるのは遅い時間に決まってる。
しかも、葬儀っていろんなことを手配したり手続きしたりしなきゃいけないのに、そんな合間をぬってサプライズのプレゼントをしてくれて涙がとまらなかった。
そして、祖父の時と同様、勧められたのが「湯灌」。
棺に入れる前に、納棺師さん2人が身体をキレイにしてくれるのよ。
全身を、石鹸で泡立てて丁寧に洗ってくださって、顔まで剃ってもらって。
お風呂が大好きな祖母だったから、長い入院生活の間入れなくてすごくかわいそうでね。
だからなのか、不思議なことにすっごく気持ちよさそうに見えるのよ。
納棺師さんの話では、実際、身体を洗うことで硬直した筋肉がほぐれるからすごく気持ちよさそうに見えるのだとか。
汗をかきながら必死に「湯灌」をしてくれてる納棺師さんを見て、本当にすごいお仕事だなぁって心から思った。
告別式の朝は食事が1人前多く運ばれてきて。
その葬儀担当の方が言ってくださったの。
「これが一緒にとる最期の食事だから、故人様の分も」と。
祖父の時もそうだったんだけど、「陰膳用」じゃなくて、ちゃんと一人前あるのよね。
そして、食事のあと、紙にきれいに包んで最後に棺の中に入れてくれた。
でも、私の感動はこれでは終わらなかった。
最期のお別れをして、いよいよふたが閉められるというときに、一杯の紅茶をその担当者の方が運んできてくれて。
「お別れの前に、飲ませてあげてください」といって、葉っぱを渡してくれて、ここでまた涙。
あらかじめ母に、一番好きだった飲み物を聞いてくれて用意してくれてたみたいなの。(これまた祖父の時も)
あとで聞いて分かったのだけれど、「湯灌」以外のこれらは全て、葬儀会社の方針ではなく、思い出ビデオも写真も、最期の朝食も、末期の紅茶も・・・ 全部、この担当者の方のご厚意でやってくださってたことだと知って、また涙。
その方が、
「僕はお葬式は、人生最期のセレモニーだと思っています。僕は故人さんのことは知りません。だけど、故人さんのためにも、ご家族のためにも最高のお式にしたいと思っています」
と話してくださってどれだけ胸を打たれたか。
祖母が亡くなってからも7日ごとにお花を届けてくださるので、そのときに仕事の参考にさせてほしいので、色々とインタビューしてもいいですか?と聞いたら快く引き受けてくださって。
その時に、「極力ご家族の方の願いは聞きたいと思ってるんですよ」とおっしゃるので、今までにどんなサプライズを考えてされたのかと聞いてみたら、これまた本当にすごいの!
阪神タイガースファンだった方のご葬儀のときは、花を集めてタイガースのマークを作った(業者にたのんだ)とか、桜の花が大好きだった方のときは、知り合いから桜の木の枝を少し頂戴して、棺の中に花びらを散らして入れたのだとか。
最後にふたの上からも散らしたとおっしゃってて、鳥肌が立った。
何と粋な!!
私、源氏物語の紫の上が好きでね。
彼女が桜の花をこよなく愛していたっていうのを知ったとき、棺の中に桜の花びらを入れることができたらいいのになぁ~でもこればかりは無理なぁって思ったことがあったから、これもひどく感動した。
その方、本当に仕事に誇りを持っていて、仕事が大好きなのだそうだ。
色んな話を聞かせてもらって、その方が最後におっしゃったのは、
こんなに多くの素敵な方々に祖母が出会えたのは、90年間、一生懸命、必死に生きてきたからなんだろうなぁ。
先月、私が大好きだった祖母が亡くなりました。
明日は四十九日の法要です。
今日は大好きだった祖母の話を少しと、たくさんの「ありがとう」を書きたいと思います。
「死」に関しては、様々な考えがあると思いますので、苦手な方はこちらでバックをお願いします。
大正生まれの祖母は90歳でこの世を去った。
母親とは幼いころに死別。
父親とも訳あって離れて暮らしていたので、小学校にもろくに行くことができず…
親戚の家で辛い思いをしたり、奉公に出されたりと、とにかく苦難の青春時代を過ごしていたのだそう。
やっとの思いで父親と一緒に住むようになったとき、戦争が始まって、雨が降るように爆弾が落ちてくる中を必死に逃げ回ったって聞いたことがある。
身体が弱かった祖母は私の母親を産んでから、ひどい喘息になり生死をさまよったこともあるらしく、とにかく苦労が絶えない人だった。
そんな祖母は私や弟を心から愛し、本当に大切にしてくれた。
どんな時も味方になって応援してくれた。
何の贅沢をすることもなく、自分のことより人のことばかり考えて、これでもかというぐらい、惜しみない愛情を注いでくれた。
決して見返りを求めることなんかしない、まさに「慈しみの愛」に他ならなかった。
元々、別々に住んでたのだけれど、私が高校生のときに脳梗塞を患って左半身が不随になり、祖父とだけでは暮らしていけなくなったので同居することになって。
母はパートに行きながら介護をしていたので、私も一緒にお風呂に入ったり歯を磨いたりするのをよく手伝ったっけ。
その頃、祖母は軽い認知症にもなったのだけれど、とにかくよく笑うし可愛くて仕方なかった。
幼いころからずっと苦労してきた祖母は身体は弱かったものの、すごく芯の強い人だったのだそう。
自分はいつ死ぬか分からないと思っていた祖母は、自分がいなくなっても生きていけるように…と母をとても厳しく育てたのだとか。
ずっと気を張った状態で生きてきたのだろう。
だから認知症になったことで、今まで背負ってきた「鎧兜」を全部脱ぎ捨てたようだと母はよく言っていたのが忘れられない。
まるで子供のように無邪気でとっても可愛くて、そんな祖母も私は大好きだった。
だからしょっちゅう祖母のベッドにもぐりこんで一緒にお話ししたり(弟も笑)、車いすを押して祖母の好きなお菓子を買いにスーパーに出かけたりして毎日がすごく楽しかった。
そんな生活が10年ぐらい続いたころ、ずっと介護をしていた母がヘルニアになりこれ以上一緒に住むことができなくなって、祖母は施設で暮らさなければいけなくなった。
幼いころに肉親と縁の薄かった祖母はまた家族とはなれて暮らすことが不安で仕方なかったんだと思う。
それを一番よく分かっていたからこそ、母は毎日のようにお昼の食事だけは…と介助をしに施設に行っていた。
施設に入居してからも何度も入退院を繰り返し、その度に奇跡の復活を遂げてきた祖母だったけれど、今回ばかりはかなわなかった。
いよいよお別れが近づいていたとき、母と何度も涙したのだけれど、シンデレラの「花巻」のお話を読み返して。
遼一がヒロインに言うのよね。
「人を愛するってことは…その人の死を覚悟するってことなのかもしれないな」って。
それを、母にも話した。
私が読んだ、大好きな作品の中に書いてたんだけどねって。
そしたら、静かにうなずきながら聞いてくれて、何度もその言葉を反芻してた。
それで、めそめそしてばかりしないでちゃんと覚悟を決めて送ってあげようって母と話し合って決めた。
そこから、一緒に住み始めて撮りまくった写真を整理していっぱい印刷したりして。
娘っちを連れてしょっちゅう施設に行ったり、病院のお見舞いにも行ってたから、娘っちとの写真もいっぱい印刷した。
これまたシンデレラの影響なんだけど、「燃え上れ愛のフェスティバル」で、遼一とヒロインの手を写真に撮るって描写がすごく好きで。
だから娘っちと祖母が手をつないでる手だけの写真もこの時何度も見返したりして覚悟を決めた。
祖母が亡くなる日の朝、病院へ会いに行って「おばあちゃん待っててね」っ言って仕事に行ったからだろう。
私の仕事が終わる夕方までちゃんと待っててくれて、最期は母と一緒に看取ることができた。
葬儀は、家の近くではなく、祖母が祖父と50年住んだ家の近くで親族のみでとり行われることになって。
祖母を会場に運ぶ際、運転手さんが、「こちらに50年も住まわれてたなら家の前を通って会場に行きましょう」と言って、祖母が昔住んでた家の前を通って下さった。
運転手さんのお心遣いがどれほど嬉しかったことか。
このことを始まりとして、私は祖母の葬儀で、たくさんの真心を頂きとても感動したのだ。
祖母の葬儀は祖父の時と同じく、某葬儀会社に頼んだのだけれど、「お願いだから担当者さんは祖父のときと同じ人で!」とお願いしまくったからその方が来てくれることになった。
この方、本当にすごくて。
こっちがバタバタしてパニクってるなか、どんな状況でも冷静に対応してくれるから話しててすっごく心が落ち着くし、心配りが半端ない。
祖父の時もそうだったんだけど、遺影に使う写真を渡したら、「家族写真があったらたくさん用意してください」と言われたので用意したら会場の受付に並べて飾ってくださって。
それだけじゃなく、その中から何枚かピックアップして内緒で思い出ビデオを作製してくれたり(告別式の前に流してくれた)、写真のデータを取り込んで張り合わせ、それをパウチしてくれたものを会場に飾ってくださったり。
祖母の葬儀は祖父の時と同じく、某葬儀会社に頼んだのだけれど、「お願いだから担当者さんは祖父のときと同じ人で!」とお願いしまくったからその方が来てくれることになった。
この方、本当にすごくて。
こっちがバタバタしてパニクってるなか、どんな状況でも冷静に対応してくれるから話しててすっごく心が落ち着くし、心配りが半端ない。
祖父の時もそうだったんだけど、遺影に使う写真を渡したら、「家族写真があったらたくさん用意してください」と言われたので用意したら会場の受付に並べて飾ってくださって。
それだけじゃなく、その中から何枚かピックアップして内緒で思い出ビデオを作製してくれたり(告別式の前に流してくれた)、写真のデータを取り込んで張り合わせ、それをパウチしてくれたものを会場に飾ってくださったり。
また思い出ビデオは選曲がいいのよ…
祖父の時は亡くなったのが大晦日の朝だったので、この担当者さんとは大晦日から三が日にかけてずっと一緒に過ごしたのよね。
このお仕事は朝も晩も、休日どころか正月でさえいつ呼ばれるかわからないんだって。
夜中に病院にお迎えに行く時もあるから、睡眠時間だって確保されないのはしょっちゅうらしくて。
もちろん、通夜の日の仕事が終わるのは遅い時間に決まってる。
しかも、葬儀っていろんなことを手配したり手続きしたりしなきゃいけないのに、そんな合間をぬってサプライズのプレゼントをしてくれて涙がとまらなかった。
そして、祖父の時と同様、勧められたのが「湯灌」。
棺に入れる前に、納棺師さん2人が身体をキレイにしてくれるのよ。
全身を、石鹸で泡立てて丁寧に洗ってくださって、顔まで剃ってもらって。
お風呂が大好きな祖母だったから、長い入院生活の間入れなくてすごくかわいそうでね。
だからなのか、不思議なことにすっごく気持ちよさそうに見えるのよ。
納棺師さんの話では、実際、身体を洗うことで硬直した筋肉がほぐれるからすごく気持ちよさそうに見えるのだとか。
汗をかきながら必死に「湯灌」をしてくれてる納棺師さんを見て、本当にすごいお仕事だなぁって心から思った。
告別式の朝は食事が1人前多く運ばれてきて。
その葬儀担当の方が言ってくださったの。
「これが一緒にとる最期の食事だから、故人様の分も」と。
祖父の時もそうだったんだけど、「陰膳用」じゃなくて、ちゃんと一人前あるのよね。
そして、食事のあと、紙にきれいに包んで最後に棺の中に入れてくれた。
でも、私の感動はこれでは終わらなかった。
最期のお別れをして、いよいよふたが閉められるというときに、一杯の紅茶をその担当者の方が運んできてくれて。
「お別れの前に、飲ませてあげてください」といって、葉っぱを渡してくれて、ここでまた涙。
あらかじめ母に、一番好きだった飲み物を聞いてくれて用意してくれてたみたいなの。(これまた祖父の時も)
あとで聞いて分かったのだけれど、「湯灌」以外のこれらは全て、葬儀会社の方針ではなく、思い出ビデオも写真も、最期の朝食も、末期の紅茶も・・・ 全部、この担当者の方のご厚意でやってくださってたことだと知って、また涙。
その方が、
「僕はお葬式は、人生最期のセレモニーだと思っています。僕は故人さんのことは知りません。だけど、故人さんのためにも、ご家族のためにも最高のお式にしたいと思っています」
と話してくださってどれだけ胸を打たれたか。
祖母が亡くなってからも7日ごとにお花を届けてくださるので、そのときに仕事の参考にさせてほしいので、色々とインタビューしてもいいですか?と聞いたら快く引き受けてくださって。
その時に、「極力ご家族の方の願いは聞きたいと思ってるんですよ」とおっしゃるので、今までにどんなサプライズを考えてされたのかと聞いてみたら、これまた本当にすごいの!
阪神タイガースファンだった方のご葬儀のときは、花を集めてタイガースのマークを作った(業者にたのんだ)とか、桜の花が大好きだった方のときは、知り合いから桜の木の枝を少し頂戴して、棺の中に花びらを散らして入れたのだとか。
最後にふたの上からも散らしたとおっしゃってて、鳥肌が立った。
何と粋な!!
私、源氏物語の紫の上が好きでね。
彼女が桜の花をこよなく愛していたっていうのを知ったとき、棺の中に桜の花びらを入れることができたらいいのになぁ~でもこればかりは無理なぁって思ったことがあったから、これもひどく感動した。
その方、本当に仕事に誇りを持っていて、仕事が大好きなのだそうだ。
色んな話を聞かせてもらって、その方が最後におっしゃったのは、
「大切な人は、亡くなってから…ではなくて、生きてるうちにちゃんと後悔のないよう大切にしてほしい。当たり前のことなんだけど、僕がいつも思ってることです」
と。
本当にその通りだなぁって思った。
今回、祖母が亡くなって、弟と久々に色んな話をゆっくりしたんだけど(祖母との思い出の地を周ったりしながら)、いつかは自分の両親を見送る日が来るんだよなぁって。
今は考えられないし考えたくもないけど、私たちが年をいけばいくほどその日は近づいていくわけで。
母親が祖母を心から大切にしてたように、私も両親を大切にしなきゃいけないと心から思ったよ。
(話は逸れてしまったけど)そんなこんなで、担当者の方を始めいろんな方によくしてもらって最高のお式を挙げることができ、祖母も喜んでくれたと思う。
家族と離れて施設に行くのを嫌がっていた祖母だったけれど、施設の人にも本当によくしていただいて。
亡くなる前日は大雨でね。
でもそんな中、仕事終わりの施設の人が自転車でお見舞いに来てくれたり、亡くなる数時間前には昨日とは違う方が2人(休み&夜勤明け)がお見舞いに来て、祖母との思い出を2時間も祖母の横で母に話してくださったのだとか。
本当にその通りだなぁって思った。
今回、祖母が亡くなって、弟と久々に色んな話をゆっくりしたんだけど(祖母との思い出の地を周ったりしながら)、いつかは自分の両親を見送る日が来るんだよなぁって。
今は考えられないし考えたくもないけど、私たちが年をいけばいくほどその日は近づいていくわけで。
母親が祖母を心から大切にしてたように、私も両親を大切にしなきゃいけないと心から思ったよ。
(話は逸れてしまったけど)そんなこんなで、担当者の方を始めいろんな方によくしてもらって最高のお式を挙げることができ、祖母も喜んでくれたと思う。
家族と離れて施設に行くのを嫌がっていた祖母だったけれど、施設の人にも本当によくしていただいて。
亡くなる前日は大雨でね。
でもそんな中、仕事終わりの施設の人が自転車でお見舞いに来てくれたり、亡くなる数時間前には昨日とは違う方が2人(休み&夜勤明け)がお見舞いに来て、祖母との思い出を2時間も祖母の横で母に話してくださったのだとか。
どの方も私よりずっと若い20代の方ばかり。
施設の仕事って、本当に大変なのに時間を見つけて来てくださったことが嬉しくて仕方ない。
そして通夜も告別式も、遠いのに施設の方が次々と来てくださって。
本当に本当にいろんな方の優しさや愛情を感じることができて、何度涙を流したかわからないし、何度「ありがとう」って言っても伝えきれないぐらい感謝の気持ちでいっぱいだった。
葬儀関係者の方・施設の方の、「本物のプロの仕事を見せてもらった」感じがして心が震えた。
世の中には本当に色々な仕事があって、その仕事と、そこで関わる方々と、本気で向き合われてる方がたくさんいるのだなぁと感動せずにはいられなかった。
業種は違うけれど、私も「対・人」の仕事をしているので、人に少しでも感動を与えられる人になりたいって心から思う。
施設の仕事って、本当に大変なのに時間を見つけて来てくださったことが嬉しくて仕方ない。
そして通夜も告別式も、遠いのに施設の方が次々と来てくださって。
本当に本当にいろんな方の優しさや愛情を感じることができて、何度涙を流したかわからないし、何度「ありがとう」って言っても伝えきれないぐらい感謝の気持ちでいっぱいだった。
葬儀関係者の方・施設の方の、「本物のプロの仕事を見せてもらった」感じがして心が震えた。
世の中には本当に色々な仕事があって、その仕事と、そこで関わる方々と、本気で向き合われてる方がたくさんいるのだなぁと感動せずにはいられなかった。
業種は違うけれど、私も「対・人」の仕事をしているので、人に少しでも感動を与えられる人になりたいって心から思う。
こんなに多くの素敵な方々に祖母が出会えたのは、90年間、一生懸命、必死に生きてきたからなんだろうなぁ。
祖母のことを心から誇りに思いますーー。
この「ありがとう」の気持ちを書き記したくて、祖母への思いも添えて今日はブログに書きました。
長くなったけど、最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございました。
この「ありがとう」の気持ちを書き記したくて、祖母への思いも添えて今日はブログに書きました。
長くなったけど、最後までお付き合いくださった方、どうもありがとうございました。