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俳句の素人が何を書くか、とお叱りを受けるかもしれないが、俳句を書いて読んできてこれは要のひとつだなと思うことがあるので、書いてみようと思う。

先ず、下の桑原武夫が並べた句を読んでみよう。桑原武夫が「大家と素人の区別のつかない俳句界」「平板な大衆性を脱出しえない俳句」と俳句について書いたのは昭和二十一年である。それ以後この問題提起に対して誰が何を書いたか記憶から綺麗に飛んでいる。年月と病気が原因だが、だからこそ今、自分で考えてみたい。

桑原武夫が「俳句第二芸術論」を唱えた時、彼は無意味な学校教育での俳句教育はやめるべきだとまで言った。私は賛成はしないが、俳句とは何か教えず、五七五で書きなさいという教育は本質に届かまま勘違いをさせる原因だと思う。

また、俳句に作者の説明を加えるのも不用だと思っている。書き終わったら読者に理解は任せるべきだと思うからだ。

私の俳句の定義は次の通りである。
①基本、五七五。但し、字余り、字足らずはあり得る。
②よって、尾崎放哉のは俳句でなく一行詩と考える。最近の句誌に一行詩が多いのは私は残念である。
③季語は必ずしも必要としない。季節のものが変わりゆく中で、季語は増えてきた。この言葉を季語と認めるかどうかという判断が必要なら、どちらでも良いというのが私の考えである。

さて、桑原武夫は専門家と一般人の句、それぞれ十句と五句を並べ、読者が判別できるか、できないとしたら、それが俳句の作句に専門性がないことであるを示すと書いた。

1.芽ぐむかと大きな幹を撫でながら
2.初蝶の吾を巡りていづこにか
3.咳くとボクリッとベートヴェンひゞく朝
4.粥腹のおぼつかなしや花の山
5.夕浪の刻みそめたる夕涼し
6.鯛敷やうねりの上の淡路島
7.爰に寝ていましたといふ山吹生けてあるに泊まり
8.麦踏むや冷たき風の日のつゞく
9.終戦の夜のあけしらむ天の川
10.椅子に在り冬日は燃えて近づき来
11.腰立てし焦土の麦に南風荒き
12.囀や風少しある峠道
13.防風のこゝ迄砂に埋もれしと
14.大揖斐の川面を打ちて氷雨かな
15.柿干して今日の独り居雲もなし

さて、この十五句から一般人の五句を見抜けるだろうか。
2.6.9.10.12.13.14.ーーーーどうしてもあと二句判断できない。

2.初蝶の吾を巡りていづこにか
6.鯛敷やうねりの上の淡路島
9.終戦の夜のあけしらむ天の川
10.椅子に在り冬日は燃えて近づき来
12.囀や風少しある峠道
13.防風のこゝ迄砂に埋もれしと切れ字
14.大揖斐の川面を打ちて氷雨かな

特徴ある3と7はわかりやすく、あといくつかの句は判断できたというより多分で選んだ。それでもこの七句が悩ましい。この中に専門家の作品でない句が二句入っているわけだ。

答えは、6と9である。ーーーー理由を考えてみると、6.鯛敷やうねりの上の淡路島、は「や」の切れ字を使っているが、意味は切れておらず、「切れ」が生きていないこと。9.終戦の夜のあけしらむ天の川、は「あけしらむ」と「天の川」の間に間があるが、上五七と下七の間に意味やイメージの距離がなく、句全体がひとつの流れになっていること。これが判断の基準であろうか。

「切れ」について弟子の土芳の『三冊子』を通して、芭蕉はこう語っている。

「切字なくても切るる句あり」
またそれは切れ字を用いていても切れていない場合もあることも意味する。
「発句の事は、行て帰る心の味也。たとへば『山里は万歳遅し梅の花』という類也。『山里は万歳おそし』といいはなして、『梅は咲り』という心のごとくに、行きてかへるの心、発句也。ーーーー先師も『発句はとり合物と知るべし』と言へるよし」

切れによって、違う二つをひとつの句の世界で味あう妙、それが俳句の要のひとつのように思う。

だいぶ昔に書いたが、修正しないことにした。




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