今週は、東京から女友達が2人、初めてのNYの旅にやってきてくれました。
久しぶりに会える友人、日本のお土産話、いろいろ本当に嬉しく楽しいものです。
そんな中、1日仕事のお休みをもらって、NY郊外への日帰りドライブへ。
せっかくの休みだから!と、欲張って、ざっとこんなPLAN。
Bronx 野口英世と高嶺譲吉のお墓参り。
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Upper Hudson
全米最高峰の料理学校、Culinary Institute of America(CIA)でランチ&見学。
ワイナリー見学。
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Tarrytown
ロックフェラーの別荘見学。
ユニオン教会 シャガールとマティス作のステンドグラスがある教会へ。
ブルーヒル・レストランで見学&夕ごはん。
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では、その① ブロンクス。
小学校時代、私の真面目な弟は、いつも七夕の短冊に書いていました。
「野口英世のような医者になりたいです。」
隣で、「お嫁さんになりたいです。」とか、「スチュワーデスになりたいです。」と、なんとも意味のない短冊を書いてた姉さんとは大違い。
そして、彼は現在医者なのです。さすが、えらいぞ。真面目な弟。
その、偉大な野口英世博士が、このニューヨークに眠っているの、知ってましたか・・・?
彼は、1928年に、アフリカの現在のガーナで黄熱病に感染して殉職してしまったのですが、当時の彼の所属は、「ロックフェラー医学研究所」。
石油王ロックフェラーの指示は、「なんとしても米国に戻せ」。
アフリカの野口博士の遺体は、そのまま金属の棺に密閉され、ニューヨークに到着。
ロックフェラー家主導で葬儀が行われ、ブロンクスのウッドローン墓地に眠っているのです。
233rd Street & Webster Avenue, Bronx
真面目な弟の為にも、NY在住のうちに、一度お墓参りに。。。。。
あんまり気が乗ってない風の友人達を乗せて、行ってきました。
広い広い敷地の一角に、ひっそりと、野口英世氏のお墓はありました。
メリー夫人(奥さんがアメリカ人というのも、私知らなかったんです)も、一緒にここに眠っています。
銅板の墓碑銘には、こう刻まれてるそうです。
野口英世
1876年11月24日、日本の猪苗代に生まれ
1928年5月21日、アフリカのゴールドコーストに死す
ロックフェラー医学研究所員である野口英世博士は、科学への献身により、
人類の為に生き、人類の為に死せり
日本で生まれて、アフリカへ渡って、アメリカに眠る野口英世博士。
まさに、世界の人。
そして、高峰譲吉氏も、ここに眠っています。
「それ誰だっけ・・・?」
そんな状態の4人だったのですが、とにもかくにもお墓を見つけました。
大きなお家のようなお墓。「TAKAMINE」と大きく刻印してあります。
野口英世博士のひっそり感とは違った、立派なもの。どんな人生を歩んだ方なのでしょうか?
高峰譲吉(1854年~1922年) 富山生まれ。科学者、工学博士、薬学博士。
・アドレナリンの抽出に世界最初に成功。
・消化薬で有名な、「タカジアスターゼ」を発明。これを売る三共製薬の初代社長。
・アメリカの1884年万国博覧会で事務官として派遣されたのを機に、アメリカ人女性と婚約して、永住。
・・・・などなど、とにもかくにもすごい人みたいです。
日本生まれの先代達、今から120年も前に太平洋を渡り、活躍したのですね。
この墓地は、アメリカのお金持ちや有名人も数多く眠っているところで、ツアーもたくさん出てるのだとか。
入口で大きな地図と、有名人著名人のリストを渡されました・・・。
広い広い緑地に、さまざまな様式のお墓が並び・・・・アメリカにも、こんな場所があったんだ、とびっくり。
恵まれた家族(ここでは一族かな?)・・・・Familyの絆の強さ、財力や権力の存在みたいなものを、感じてしまいました。
その後は、ハドソン川に沿って北へ北へ。
一度どうしても行ってみたかった、アメリカ一番の料理学校へ向かいますー。






