体調を崩して入院までした木の芽時。
そんな3月の終わりに、ぎりぎりセーフとばかりに、法政大学から卒業証書が届いた。
卒業式に出席しようと思ってた矢先、それどころじゃなくなるなんて、同じような理由でいけなかった成人式と重なった。
どうやらわたしは、祝いの席には向いていないのかもしれない。
学位記のたいそう立派な外装を開いて、中の証書を読んでみた。
一つのことをやり終えた達成感のせいか、ほくそ笑んだ。
交通事故で身体が壊れ、大学中退を余儀なくされたあの日から、幾ばくかの月日が流れ、あるとき気づいた心残りの一つ、それが大学の卒業だった。
今となっては新卒で就職ってわけでもないし、とくに必要もないいわばエゴの塊。
そんなものが、わたしにとっては意味がある行為によって価値のあるものを修得した証明なのだ。
車椅子生活になったうんぬんではなく、今までの人生で積み重なった多くの後悔を、できるだけ解決できたらいい、今まで後悔はないなんて言える強い人間じゃないのだから。
脳の衰えと勉強嫌いを再確認した卒業までの4年間でした。