先日、親戚の叔父が遊びにきた時のこと

今のリビングには
夫の写真ではなく
今のパートナーとの写真を飾っている


これはあえて、そうしている

過去を見るのも大切だが
私たちは夢と希望を持ち
未来に向かって生きていくからである


何より、
パートナーの横にいる私は
最高の笑顔だ



あの絶望の中


こんなふうに笑う日が

来ると思っていたか



笑顔の自分の写真を見るだけで
グッとくるものがある


私を笑顔にしているのは
選択をしてきた私自身

だけどそのきっかけは彼だ

本当に彼には救われている
夢と希望を持たせてくれた









さて、話を戻そう



親戚の叔父さんが帰った後、

何げなく写真盾を見た



すると、
裏返しにひっくり返されている写真盾。


ん?

なんで、裏返しになっているのか?



母親に聞いてみたところ、


母親がひっくり返したようだ


母は
夫とではない人との
ツーショットの写真盾を見られて
何か思われるのが嫌だと言った



思考回路は
大体想像はつく


夫の死後、
わずかしかたたない時の中で
もう新しい人を作ったのだろうか?

と思われるのが嫌だったのだろう

薄情だ!と思われるのが嫌だったのだろう






私もその思考回路は十分にわかる

仕方ないと思っていた



が、


何か違和感を感じる

不快だ

ものすごく



これはまだきっと
私自身の心の中にもあるからなんだろうと思う




罪悪感はない



薄情なのかもしれない



確かに夫の死後1年でパートナーを作った

そのことに関して
まだ自分で自分を本当に許せていないらしい


だから
隠したい気持ちは理解できる



だが何故


今の幸せを隠さなければいけない?



おかしくはないか?



誰にヤジを言われようとも



私自身には全く関係がないことだ




薄情だのなんだの

早いだのなんだの





言ってくる人たちにぜひ聞きたい



私の人生
貴方が決めてくれるんですか?

私の人生
責任をとってくれるんですか?


私の人生は
私のための
私だけのものだ



だから

ぜひ聞きたいんだ


でも
こんなこと
言ってくる人がいないことは
わかっている










私は私に問いたいんだ



いまだに私を縛り付けているのは





私だからだ



解放していきたい


あと母親



母親にもしっかり伝えたが
変わらないだろうな



いいんだ




私が私を許せれば

あとは何も問題はないんだ



光ある未来に走っていきたいんだ