6月29日(土):
404ページ 所要時間6:05 ブックオフ105円
著者41歳(1963生まれ)。
本書では、4編(各100ページ)ともに,「ゆるす/ゆるされる」関係がテーマになっている。
*「みんな言うとるよ、お兄ちゃんの小説は優しい、って。こげな優しい小説書く作家さんは本人も優しいんじゃろうなあ、って」勝手に決めるなよ、と苦笑した。勝手に決めないでほしい、ほんとうに。(350ページ)
作者自身にも「優しい小説を書く」という自覚があり、読者も「優しい言葉、まなざし」に触れたいと思っている。生ぬるいのかもしれないが、重松清の世界は作家と読者の共鳴・共感によって支えられているのだと思う。本書も、期待を裏切らない出来栄えであった。
1まゆみのマーチ
母は、病的に歌を歌うことを止められず、小学校担任から厳しく指導(迫害?)を受け、不登校に追い込まれた妹まゆみを、どこまでも肯定し受け入れ、守り通した。母を、「妹を甘やかす」と厳しい目で見てきた出来のよい兄が、成人して息子の不登校に直面する。臨終の母を見舞い、母の子供を肯定し、とことん受け入れ守る姿に、自分の息子との関わり方を再考する。
*幸ちゃんが「困る、困る」というときは、自分が困るけん、そげん言うんよね―。おかしそうに笑いながら、母はまゆみに話した、という。44ページ
*「ひとに迷惑をかけるんは、そげん悪いことですか?」/先生がそれにどう応えたのかは知らない。78ページ
2あおげば尊し
高校で信念を持って生徒を厳格に指導し、冷たく切り捨ててきた父は、校長会会長まで務めた名士だ。しかし、在宅介護中も、葬儀にも教え子はたずねて来なかった。予ねて、父の教師としての姿勢に強い違和感を覚えてきた小学校教師の息子は、死体に関心を持つクラスの児童に父の死にかけている姿を見せようとする。父はそれを許可し、「死にゆく姿をみせる」ことが父の最後の授業となる。それにしても、生徒の訪ねてこない教師は寂しい・・・のか? わからない・・・。
3卒 業
14年前、26歳で自殺した親友の娘が、「父のことを知りたい」と訪ねてくる。当時、まだ母親のお腹にいたのだ。自殺をにおわす娘を見過ごせず、思い出を探すが案外と乏しい。自らも課長代理からリストラ出向を命じられ、給与の半減の憂き目にあい、「ひとは、どんなときに死を選んでしまうのだろう。略。コップの水は満杯になってからあふれてしまうわけではない。ほんのわずかでも、コップそのものが傾いてしまえば、こぼれる。276ページ」など考え込んでしまう。校舎の2階からダイブして入院した娘を救ったのは結局、義父の奮闘だった。七夕の夜、自殺した現場で、娘と一緒に亡き友の「供養」をする。
4追 伸
「とんび」では、再婚せずに息子を育て上げた父親が主人公だったが、それより前に書かれた本作では、父親は妻の死後、再婚する。さらに癌で亡くなった産みの母が6歳の息子に宛てた「わたしの宝物の敬一へ」というノートが遺された。後妻に入った「ガサツな」ハルさんをどうしても息子は「お母ちゃん」とは呼べない。「お母ちゃん」の一言をめぐって息子とハルさんは修復不可能な対立に陥る。東京の大学に去ったあとは、故郷とハルさんを捨てるつもりで生きてきた。父が亡くなったあと、腹違いの13歳下の弟健太の計らいで、還暦を迎えたハルさんを訪ねる。そして、「お母ちゃん」は二人になる。人間関係はこじれると時間が掛かるものだ。血がつながっていなければ、こんなもろいものはない。
※年齢を理由にするには、少し早いが、日々の忙しさに追われてると、週末は寝たおさないとやってられない。必定、昼夜逆転になる。夜の9時に読み始め、未明の3時過ぎに読み終わった。感想を書く時間もあまりない。もうすぐ外が白み始めるだろう。明日、目覚めて、書き足せれば、また書き足そうと思う。
※6月30日、書き足しました。
404ページ 所要時間6:05 ブックオフ105円
著者41歳(1963生まれ)。
本書では、4編(各100ページ)ともに,「ゆるす/ゆるされる」関係がテーマになっている。
*「みんな言うとるよ、お兄ちゃんの小説は優しい、って。こげな優しい小説書く作家さんは本人も優しいんじゃろうなあ、って」勝手に決めるなよ、と苦笑した。勝手に決めないでほしい、ほんとうに。(350ページ)
作者自身にも「優しい小説を書く」という自覚があり、読者も「優しい言葉、まなざし」に触れたいと思っている。生ぬるいのかもしれないが、重松清の世界は作家と読者の共鳴・共感によって支えられているのだと思う。本書も、期待を裏切らない出来栄えであった。
1まゆみのマーチ
母は、病的に歌を歌うことを止められず、小学校担任から厳しく指導(迫害?)を受け、不登校に追い込まれた妹まゆみを、どこまでも肯定し受け入れ、守り通した。母を、「妹を甘やかす」と厳しい目で見てきた出来のよい兄が、成人して息子の不登校に直面する。臨終の母を見舞い、母の子供を肯定し、とことん受け入れ守る姿に、自分の息子との関わり方を再考する。
*幸ちゃんが「困る、困る」というときは、自分が困るけん、そげん言うんよね―。おかしそうに笑いながら、母はまゆみに話した、という。44ページ
*「ひとに迷惑をかけるんは、そげん悪いことですか?」/先生がそれにどう応えたのかは知らない。78ページ
2あおげば尊し
高校で信念を持って生徒を厳格に指導し、冷たく切り捨ててきた父は、校長会会長まで務めた名士だ。しかし、在宅介護中も、葬儀にも教え子はたずねて来なかった。予ねて、父の教師としての姿勢に強い違和感を覚えてきた小学校教師の息子は、死体に関心を持つクラスの児童に父の死にかけている姿を見せようとする。父はそれを許可し、「死にゆく姿をみせる」ことが父の最後の授業となる。それにしても、生徒の訪ねてこない教師は寂しい・・・のか? わからない・・・。
3卒 業
14年前、26歳で自殺した親友の娘が、「父のことを知りたい」と訪ねてくる。当時、まだ母親のお腹にいたのだ。自殺をにおわす娘を見過ごせず、思い出を探すが案外と乏しい。自らも課長代理からリストラ出向を命じられ、給与の半減の憂き目にあい、「ひとは、どんなときに死を選んでしまうのだろう。略。コップの水は満杯になってからあふれてしまうわけではない。ほんのわずかでも、コップそのものが傾いてしまえば、こぼれる。276ページ」など考え込んでしまう。校舎の2階からダイブして入院した娘を救ったのは結局、義父の奮闘だった。七夕の夜、自殺した現場で、娘と一緒に亡き友の「供養」をする。
4追 伸
「とんび」では、再婚せずに息子を育て上げた父親が主人公だったが、それより前に書かれた本作では、父親は妻の死後、再婚する。さらに癌で亡くなった産みの母が6歳の息子に宛てた「わたしの宝物の敬一へ」というノートが遺された。後妻に入った「ガサツな」ハルさんをどうしても息子は「お母ちゃん」とは呼べない。「お母ちゃん」の一言をめぐって息子とハルさんは修復不可能な対立に陥る。東京の大学に去ったあとは、故郷とハルさんを捨てるつもりで生きてきた。父が亡くなったあと、腹違いの13歳下の弟健太の計らいで、還暦を迎えたハルさんを訪ねる。そして、「お母ちゃん」は二人になる。人間関係はこじれると時間が掛かるものだ。血がつながっていなければ、こんなもろいものはない。
※年齢を理由にするには、少し早いが、日々の忙しさに追われてると、週末は寝たおさないとやってられない。必定、昼夜逆転になる。夜の9時に読み始め、未明の3時過ぎに読み終わった。感想を書く時間もあまりない。もうすぐ外が白み始めるだろう。明日、目覚めて、書き足せれば、また書き足そうと思う。
※6月30日、書き足しました。