思い返すこと数年前
2014年の2月。
極真空手の試合中、調子に乗った私は
飛び蹴りをくりだした。





“こりゃ勝てるぞ”
内心、にやり。





左足(片足)で着地した、その時。




ごりりり!!!おさるのもんきちひゃー



今まで聞いたことのない摩擦音が脳天を走った。
目の前にはマンガでよくある
雷に打たれたホネホネマンのような映像が流れる。




“ナニコレ!”




自分では何が起こったのかわからなかったが
試合を続行しようにも
音と共に崩れ落ちた左足は言うことをきかない。




立ち上がりたくても立てない。踏ん張れない。
のたうち回る痛さ。と言うか、のたうち回った。





案の定、そのままレフリーストップとなり負けてしまった。





その時の審判は私の膝を見て
「あー、、靭帯やっとるかもしれんなー」と
言っていたが




“靱帯ってなんだよ!まだやれるわ!”




立ち上がれないくせにこんな事を思っていた。
半べそかきながら、肩を貸してもらってやっとの思いで競技場を後にする。
まさに産まれたての子鹿。






その時はまだ靭帯という言葉さえしらず
自分でも何が起こったのか訳が分からなかった。
まさか自分がそんなおっきな怪我するなんて。
まさか自分が。





観客席から見ていた人達からも
「突然倒れ込むから、何が起こったんかと思ったよーびっくりしたよー。大丈夫なのー?」





苦笑うしかないははは。すいません。
悔しい。悔しい悔しい。






ただ、何かはわからないが何かが違う。歩けない。
こんなに足を引きずった事もなければ
膝がグラグラした経験もない。
パンパンに腫れてるし、燃えるように痛い。
曲がらない。





痛い、、痛い、、痛い!!





アイシングはしていたが
時間が経てばたつほどじわじわと痛みが強くなってくる。






参ったなー、、、、





救急で見てもらっとこうかなと思い
大会が閉会した後、夜、
救急のある総合病院へ向かった。
幸い左足だったおかげで、運転はできる。





しかし、駐車場へ車を停めるのも一苦労。
そっから病院まで歩いて行くのも一苦労。
1人足を引きずりながら、、泣けた。
健康な時ならなーんて事ない道のりが果てしなく遠い。




何やってんだ私。





やっとの思いで到着したのに
救急の対応は、、、







あー腫れとるねー
夜はMRIできんからなー、、、
また、改めて昼間来てくれる?
はい。それじゃ。





以上!?ㅇ_ㅇ





救急だから専門の先生もおらんのんかもしれんけど
もっとちゃんと見てよ。
なんなん昼は仕事だっつーの。
なんでMRIやってくれねーの。
てゆかMRIってなんだよ。
レントゲンなり、なんか処置してよ。
こっちへの配慮はないんかい。
死にそうな思いで来てんのに。
湿布もない。
膝は燃えるように痛いのに。
泣けた。
というか泣いたじょぼー






言いたいことは沢山あったが
なにせ痛い。色々差し置いて、、痛い。
こんなとこ二度と来るかい!!と心に誓い
救急を後にした。
またゾンビみたく足を引きずりながら。






そして次の日。






丸一日仕事を終え←
(至って平然を装う。階段がきつかったなー、、)
馴染みの整形外科へ。







昨日あったことを説明し、終わると先生が
注射器をとり躊躇なく患部へぶっ刺す!←これもクソ痛い。
みるみる血が抜けていく。






「あー、。こりゃ間違いなく靭帯いっちゃってるだろうねー」
 



え、、、、、






Zintai?



Jintai!?






そこで初めて靭帯というものを知った。
それが、これから始まる私と膝との長〜い戦いの幕開けなのであった。