第一章 虹の欠片


【希美佳】


「ただいまぁ」

「おかえりなさい。どうだった?」

「ダメだった。二次まで行ったから行けると思ったんだけど」

 SBY45の25期生オーディション。今月ちょうどオーディションを受けられる12歳になった。年間でわずか数人しか通れない狭き門。東大に受かる方がよっぽど簡単。年によってはノーベル賞の人の数より少ないことだってある。

 でも私は諦めてない。まだ一回落ちただけ。神楽坂の12期生も、MACのオーディションもある。ダメでもまた来年頑張ればいい。もちろん毎年全力で挑む。

 ママは晩ご飯の支度でキッチンに立っている。この音はフライ?いやこの匂いは唐揚げ。そっか。合格のお祝いに大好物の唐揚げ、って考えてくれてたんだ。それにしても美味しそうな匂い。育ち盛りだし一個くらいいいよね。

「こら。手も洗ってないのにつまみ食いしないの」

「パパは?ジム?」

「うん。何かパパに用事あった?」

「別に。あってもLINEすればいいし」

 パパは後輩の指導でジムにいて、家にいることは少ない。ママも仕事でいない日だってある。そんな日は、あらかじめママが作っておいてくれた料理をレンチンして一人で食べる。今日はママがいるだけマシ。

「はい。できたよ。もう食べる?」

「うん」

「じゃあ手を洗ってきて」

「はあい」

 手を洗っていて、ふと顔を上げると私が私を見ていた。うん、悪くない。口角を上げて歯を見せて笑ってみる。タオルで手を拭いて、もう一度鏡に向かう。左右少しづつ角度を変えてみる。人の顔って左右非対称。私は左側の方がたぶんかわいい。斜め45度。この角度がきっと一番かわいく見えるはず。

 ダイニングに戻って、いつもの席につく。

「いただきます」

 うーん、ジューシー唐揚げ。この油が喉にいいんだよね。高音にチャレンジしてみたくなるけど、食べながらしゃべるのは行儀が悪い。ましてや食べながら歌ったりしたら、いかに温厚なママでも絶対怒る。

 それにしてもママの料理は美味しいなあ。ママは料理をパパのお母さん、つまりおばあちゃんから習ったらしい。ママの方のおばあちゃんは、ママが小さい頃病気で亡くなったらしい。ママのお父さんは警察官だったらしいんだけど、私が小さい頃に何か事件で亡くなったらしい。全部『らしい』なのは、パパもママもその事件の頃のことをあまり思い出したくないみたいだから、深くは聞かない。

「ママ、これお祝いするつもりだった?」

「うん、でも残念会になっちゃったね」

「ママ」

「なあに?」

「ありがとね、美味しい」

「はい、お粗末様です」

「ごちそうさま」

 シンクに空の食器を下げる。私の部屋へ行ってパソコンの電源を入れる。アイコンをダブルクリックして、いつもの動画サイトを開く。えーと、私がさっき演ったのは……あった。この曲だ。

≪真冬のサウンドソーグッド ゲレンデを滑り雪煙が舞い上がる キラキラした空気の中であなたと出会う ドキドキの音だってサウンドソーグッド≫

 私に足りなかったものは何なのか。それを探ろうと、細かいところを隅々までチェックする。でも分からない。この子たちと私の違いはどこなんだろう。どこがダメだったんだろう。

 あっと、もうこんな時間。始まっちゃう。

 リビングに行くと、ママがソファーに座ってテレビを観ていた。

「もう始まっちゃった?」

「まだよ。あっ、始まった」


『トークバラエティ おしゃべり天国!今週のテーマはこちら』

『新旧アイドルトークバトル』

『今週のゲストはこちらの方々です』

 あっ、SBYグループの総リーダーになったばかりの桐生真冬さんが出てる。他も名前を知ってる人ばかり。

『続いてこの方。虹色ドリーミングで活動された後、ソロとしても活躍。現在もタレントとして幅広く活動されている折原有希さんです』

 私は画面に映る折原有希と、ソファーに座っている広瀬有希を見比べる。当たり前だけど同じ顔。

『俺、ニジドリの卒業ライブ観に行きたかったねんけど、当時はまだ売れてなくてチケット買う金もなくてな。噂で聞いてんねんけど、あの日一回だけ歌った幻の曲があるってホンマなん?』

 うん。ある。私は何度も聴いたし歌える。ニジドリのダンスは全部踊れる。

『はい、あります』

『今ちょこっとでええからうとうてくれへん?』

『ええ?もう忘れちゃいましたよ』

 ママとピノキオは嘘をつくとすぐに分かる。ピノキオは鼻が伸びるけど、ママは鼻をピクピクさせる。現にさっきだって家事をしながら鼻歌であの曲を歌ってたし。

『SBYグループ7代目総リーダー桐生真冬さんです』

『私、小さい頃にニジドリに憧れて、初めてお年玉で買ったDVDが卒業ライブで。実は第二期のオーディションも受けたんですよ。ダメでしたけどね。有希さんみたいなアイドルになりたかったんです』

総リーダーはママに憧れてアイドルになったんだ。だったら私もなれるはず。

『有希ちゃん。もう一回アイドルとしてやってみる気はないの?ブームは10年サイクルってよく言うけどもなあ』

『ええ?もう体がついていきませんよ』

『私も生の有希さんの歌とダンス見たいです』

 拍手に乗せられて渋々やる感じで立ち上がるママ。台本か。あっ、総リーダーとコラボか。録画録画。

≪さあ 走り出そう 君となら行けるさ 虹の彼方へ≫

 総リーダーやママのいるところにはどうやったら行けるの?あ、そうだ。

「ねえ、ママ」

「なあに?」

「小さい頃に話してくれたあの話、もう一回聞かせてくれない?」

「ええ?どのお話?」

「普通の女の子が、七人の小人の力を借りてお姫様になるお話」

「そんな話したっけ。覚えてないなあ」

 嘘はついてない。本当に覚えてないのかあ。私ははっきりと覚えている。ただもう一度聞けばアイドルになる方法が分かると思っただけ。

 小さい頃、ママは色んな話を聞かせてくれた。おばさんが小さくなる話。あおむしの話。ジャックと豆の木。青い鳥。白雪姫にシンデレラ。やがて新しい話を聞きたがった私に、ママは創作した話をしてくれるようになった。その中で一番強烈に記憶に残ってるのがその話。私もお姫様になりたい、ってその時初めて思った。

 シンデレラや人魚姫、そしてその女の子にかかった魔法はどうすれば手に入るの?

「ねえ、ママの事務所って入れてもらえないの?」

「ベリージャム?うち、小さい事務所よ。私を入れても二人しか所属してないもの」

「でも一人はこうやってテレビに出てるママで、もう一人はあの中川華蓮じゃん」

「そうだけど。しかも今アイドルは募集してないみたいよ。前に一度だけ第二期ニジドリのオーディションをやったみたいだけど」

「それってどうなったの?」

「分からない。最終選考はママとカレンも参加する予定だったけど、途中で中止になったみたい」

「ねえ、社長に聞いてみてよ」

「聞くだけなら聞いてみてもいいけど」

「うん、お願いします」

「でも、うちに入ってもアイドルデビューできる保証は全くないし、もしデビューできたとしても最初はお客さんほぼ0人からよ。大丈夫?」

「うん、私はそこからはい上がって武道館まで行った人の娘よ。ママにできたんだから、私にもきっとできる」

「分かったわ」

 0からだっていい。白雪姫なんて一度死んでるんだ。

 私は何がなんでもアイドルになるんだ。