あの雪の夜(→58)、せそし(兄1、仮名)にコケコワン(母、仮名)が靴を届けられたのか、せそしがいつ家に帰ってきたのかは知らない。誰も何も話さない。テンプライ家(このファミリーの苗字、仮名)では、何かについて話し合うという習慣がなかった。次の日の朝ごはんは、静かな気まずいのだったように思う。せそしは食事会場にいたんだったかな。いなかったんだったかな。覚えていない。玄関を押し出されたあと、一度外の物置のカギを壊して中に入っていた、それでも寒さに耐えられず、友達の家まで歩いて行って中へいれてもらっていたらしいという情報はあとから入ってきた。

 江別にも高校はあったんじゃないかと思うけど、オクニユタカ(父、仮名)が頭脳明晰(だった)せそしを行かせたいと思うところはなかったのだと思う。せそしは札幌の高校を受験することになり、そのためには札幌に住所がいるということで、オクニユタカは札幌に中古マンションを買った。それで札幌人としてせそしが合格したので、一家は次は札幌で暮らすことになった。せそしが高校、私が中学校へ上がる年の4月から。これでようやく、兄2のゆよやと私も1人部屋がもらえることになった。私に分配された部屋は8畳と広かったので、ピアノ、二段ベッド、母のタンスが入ってきて、机も買ってもらった。おさがりでない、白い女の子っぽい、かさばるやつ。自転車も黒の5段変速のボーイズ用とかがおさがりできてたから、そういうのは初めてだった。部屋割りについて、あの頃は全然考えてなかったけど、子供三人にちゃんとした部屋をとられて、父母のプライベート空間は、居間と一体型の6畳の和室だけだった。オクニユタカは、その家から1時間以上かけて江別の工場に通ったんだと思う。誰か、そのことを大変だねとか思ってた人いたのかな。あの家族の中に。

 江別第三小学校では、卒業式にこれから行く中学校の制服を着るという習わしがあった。まだ卒業してないのになんか変だとは思うけど、卒業式用の服を特別準備しなくていいから、行先の決まってる子の親には楽でいい。クラスにいた優秀な子で私立の中学校を受験した2人のうち、合格が決まっていた男の子は、胸のポケットに金の鷲みたいなのが刺繍してある、優秀ボーイオンリー中学校のブレザーを着てきた。とても誇らしげだった。ていさんと呼ばれていたけど、なんという名前だったかなぁ。勉強はよくできたけど、泣き虫で、よく友達とトラブルになる子だった。食パンみたいな顔をしてよく喋った。札幌の名門女子学校を受験して合格発表待ちだった女の子の方は、デパートで買ってきましたっていう雰囲気の私服で来ていた。デパートは江別には多分なかったから、ヨーカドーだったのかなぁ。他の子は江別第三中学校の制服。黒の学ランと黒のセーラー服で、みんなとても黒っぽかったので、デパートまたはヨーカドーの服の女の子は、一人の女優とあとエキストラみたいな雰囲気でとても目立った。私は、ていさんのに似た、でも金の鷲はない札幌の中学校の紺のブレザーにエンジ色のネクタイでで、誰の目にも、あ、あの子違うの着てるな、というのはすぐわかったと思う。私の中ではそれくらいの違いがちょうどよかった。にこにこ感じよくして、みんなに溶け込んだような雰囲気でいたけれど、自分の中にあるよそ者感覚は最初から最後まで全然消えていなかったから。校歌も覚えなかったし、みんなが泣いても興ざめしていた。私だけ一人だなと思って、それで少し泣いたかもしれない。

 4月。確か中学校の入学式の前の日に2時間ぐらいだけ登校してなんかするという日があったと思う。それは引っ越しの翌日で、まだ地理がわかっておらず、学校の帰りに道に迷ってしまった。グーグルマップも携帯もまだ夢の世界の1988年の話。オクニユタカが買ったマンションは、確か13階建てで、そのあたりにはそれ以外に高い建物は全然なかった。周りはほとんどが2階建ての一軒家ばかりだったので、道がわからなくても見ればわかると思って、道順の予習もしていなかった。すごく簡単なはずなのに、明日から中学1年生だというのに、道に迷っている。自分の家に帰れないというのが情けなく、ほとんど泣きながら、通行人のおばさんにエバーグリーンエルムどこですか?とマンションの名前を言った。住所は聞かれたけど答えられなかった。その辺の4歳児でも自分の住所くらい言えるのに! 13階建ての白い建物なんですけど、と。あっちでないかい?と言われた方向に歩いていくと、そびえたつマンションがでてきた。すぐ近くに。なんでさっきまで見えなかったんだろうと、また情けない気持ちが膨れてきた。

 家に帰って肉まんを食べたら気分は落ち着いたけど、この中学校では初めて、なかなか友達ができない数週間を過ごすことになる。転校生ではなかったので転校生アテンションは得られず、生徒は地域の2つの小学校からきていたので、見たことのない私のことは、みんな自分とは違う方の小学校から来た子だと認識していたのだと思う。いつも一人でいて、友達のいない子なんだなとまで思われていたどうかはわからない。みんな新生活に興奮して、大きな声で騒いでいて、多分人のことなど目に入っていなかった。昼休みに教室でぼんやりしていると、担任の先生から「ほら、テンプライさんもみんなと遊びに行ってらっしゃい。女の子たち、体育館に行ったわよ。活発と聞いてるけど大人しい子なのかなぁ?」と追い出されるようにされるのはいやだったけど、一人自体は別にいやではなかった。一人だな、変なやつと思われてるかも、と思い始めるとと恥ずかしくなってきて、そこにいるのがいやになった。一人でかわいそうだから、お恵みで声をかけてあげました、みたいなことをされるのもいやだった。なんというかまぁ、いやだった。

 兄2のゆよやはここでは転校生、なんと2年目で3つ目の中学校だった。考えたらそのたびに制服と指定のカバン、靴、学用品もろもろを全部買い替えて、すごく無駄が多い。引っ越し貧乏というのは、そういうところからもくるんだな。というか、一定の地域に住み続けず、あちこち引っ越して回るというのが普通でないんだなと、こっちが想定通りじゃない変なことしてるんだなと思うに至る。

 

 ゆよやを含む2年の男子5-6人に、一度廊下で出くわしたことがある。ゆよやも私も知らんぷりして通り過ぎようとしたが、そこにでてきた前歯の少ない社会の先生が、あら、新兄妹そろっちゃって、と言ったので、そこの2年男子が妹?妹?とぎゃあぎゃあ騒ぎ出した。それを見ていた私のクラスの男子が、テンプライは転校生だとクラスに帰って言うと、そんなはずはない、そういうこともあるだろう、と私のそばで私ぬきで私をトピックに色々な情報が交換され、その後急に転校生扱いが始まった。囲まれて、質問攻めされて、いちいちへーとかおーとか言う。それも少しいやだった。

 このように、中学生活は、なんかちょっといやだったが多めで始まった。