51.(今)みんながシラーっとした...からの続き)

 いつまでも友達の話で一行に話が進まずですみませんけど、まだ終わってないので終わりまで書かせてね。それが終わったあとで、たまたま通りすがりにこれを読んでくれたあなたがもし、日本でまたは海外の小さな日本社会や日系企業などで、キチキチでもういやだなぁ、もっとのびのびやれないもんか?と思っていた場合に、あ、そういうこと? なんだ、なら......。と思えるようなことがありますと、それを説明しないで前に進むわけにはいかないのです。

 



 アックスまでで、オランダ語クラスでできた友達については紹介終わり。他にも一時的なクラスメイトはいたけど、コースが終わってからもつながっているのはこの人たちだけ。フランシーンは、その前後も他でたくさんオランダ語の先生をしているけれど、こんな風におもしろい雰囲気で、仲良くなれちゃうことは他にはないと言っている。何が特別だったかわからないけど、we hadden veel geluk! (私たちは超ラッキーだった)とフランシーンは言う。うんうんと思う。あえて言えば、みんながそれぞれとても特別だった。考えると、世の中誰でもみんな特別なんだけど、この人たちとはそれを始めから出して交流できた。誰でもないただの人になって授業を受けて帰る、わざわざ自分や自分の思ってることについて語ることもなく、休み時間にコーヒーを待つ間も順番ぬかしをせず、当たり障りのない会話だけして、ちゃんとした感じのいい人でいるだけでもよかった。でもジョンがあれこれ言ってくるし、みんなも言うことを持っていた。

 

 

 あの、さっき、自分を見せず、誰でもないただの人になることもできたと書いたけど、自分の中に言うことを持ってないと、選ぶわけじゃなくてそういう状態になる。もともとが誰でもないただの人に近いということ。出会ったとき私たちはそれぞれ結構年をとっていたので(38歳~63歳ぐらい)、意識はしてなかったと思うけど、人のおもしろさについて経験上知っていた。おもしろい人には引き付けられて、おもしろくない人とはいちいち仲良くしようとしない。友達は十分にいるから無理して新しく作る必要はないし、おもしろくない人と時間を過ごしてもつまらないから。私たちは強く引き付けられあったのだと思う。それに、共通言語があった。これがどのくらい重要な要素だったかはわからないけど。ほんでそれは残念ながらオランダ語ではなく、英語なんだけど。
 

 

 昔ロンドンで英会話学校に通ったときは、こんな風にクラスで仲良くなるということはなかった。個人的には台湾人のスーチャンと、ポーランド人のラデックくんと休みの日にも一緒に遊んだりしたけど、他に毎回会うのが楽しみになるような友達はできなかった。今考えると、私の中に言うことが入ってなかったと思う。本当の意味では何も知らず、本当の意味では何も考えてない。きれいなものに感動するとか、怒りとか、優しくしたいとか、ぼんやりとした気持ちはそれなりに持っていたと思うけど、それについてもよく考えてないから、言葉になるまでになってない。から、自分でも理解していないし、もちろん人に伝えるには至らない。たまたま感度のいい人がいたら、なんとなく感じてもらるだけ。それから、自分の方で掘り下げて考えたことがないから、人のことも同じ分しか、浅い浅いところまでしか見えない。深さや広さを持ってる人と交流しても、自分に見えている部分の浅い小さいその人を、そういう人と認識する。この人私の見えないところのものも持ってるなとわかればいい方。だから自分がおもしろくない人なのと同様に、相手の人もおもしろくない人にしか見えない。だから引っ張ったり引っ張られたりする力が働かない。そういうことだったと思う。

 

 クラスで君はどう思う?って聞かれた時に、1番つまんない回答をするのが、私と他の日本人だった。ほとんどは、I don't know. か、日本のアンケートだけにオプションがあるあれ、「どちらとも言えない」




 日本では、多くの場面で引っ張り引っ張られの原理は適用されない。それは多分、日本では浅くコーティングされた人同士が、浅いんだけどぎっちりしてる付き合いの中で、その中で迷惑をかけず、感じよく、他の人と同じようにしてるとスムーズにいく。そしてその中に所属していられる間は安心。浅いよいサンプルの範囲意外の自分は、持っててもおっかなくて出せない。だって出したら立ちどころに袋叩きにされるかもしれないし、はじき出されるかもしれないから, isn't it? 

 アックスは、私のことをオープンでユニークねと言っておもしろがった。私の知ってる日本人とは全然違うと言った。ジョンも私をユニークと形容してくれる。多分いい意味で。ドイツで友達になったイタリア人のセニョールも、君は本当の unica だね、と言う。unica もユニークの意味で、すごく上級の誉め言葉だと付け足してくれた。だから、ほらね。
日本でユニークなんて、日常では持ってたらむしろ邪魔でイヤになったりするけど、外へ出れば人が近づいて来てくれる方の力に変わったりする。

 

 

 

 ユニークを受け止めて楽しむには、受け取り側が熟してないといけない。それが私のかつてのミニボスにはなかったし、個性を出して、と言っても、たいていは団体として受け取る準備ができてないんだから。日本の社会では。


 何を力説したいかと言うと、あなたがユニークを持ってるなら、苦しいと腐ったり、蓋をしめてはみ出さないように窮屈にがまんしていようとしなくても、そのままで歓迎してもらえるところもありますよってこと。その場合は、頼りになるのは自分だけになるので、自分をなんとかしていかなきゃいけないけどねと。以上です!