忘れていることがあった。
 古代ギリシャ人は、日々を回すための仕事は奴隷にしてもらって、暇な人たちが集まって会議や議論を繰り返すことで哲学や政治を発展させたけれど、私にありあまる時間ができると、メンタル状態が悪い方向へもっていかれる習性がある。それを経験上察知していたから、まだオランダにいるうちから、暇予防アクティビティを考えていたのだった。知り合いがいなくても、現地語ができなくてもできて、すぐには飽きないように、ちょっと新しくておもしろそうなこと。

  それは、Youtube!

 

 


 動画を見るとか編集するとか、若い人たちがどんなことしてるのか知りたかったし、デジタル一般についても、でも線がつながってないのに?とか、こんなちっちゃいのの中に?とか、分からないことが多くなってきていた。世の中の会話がチンプンカンプンになり過ぎないようにしたかったから、自分で動画をつくってみようというアイディアはなかなかよかったと思う。内容は、まだ狭い日本を出たことがなくて窮屈に感じている子に、こんな世界もありますの一例を見せてあげるイメージ。柚と研が学校で受けている教育のような、あるテーマについて調べる、まとめる、自分の立場を見つける、伝える、みたいなのに強い憧れもあり、自分でもやってみたかったので、それを実現できたようでちょうどよかった。一つの動画を作り終えたときには、ひとしおの満足感があった。

 



 でも持続しない。

 これは不定期で、主婦の私のいつもの色々と同じように、誰からのプレッシャーもなく、いつやってもいいし、やってもやらなくてもほとんど誰にも影響がなかった。主婦は私のドリームジョブではないけど、もう主婦になっちゃったんだから、こうなったら掃除名人を目指そう、もあった。誰も気づかない隅々まできれいにすることに真剣になってみた。料理名人を目指そう、もきた。前日に何時間もかけて子供たちのランチのサンドイッチの具を用意してみたり、ただの普通の日に家でこんなもの作らないよね、というものを連日作ってみたり、パン、ケーキ、パイ......。ガーデニングも。そういえば、Noteもやってみた。

 



 脳科学者の茂木健一郎が、「想像力がありすぎて頭の中でうわっときちゃって、それがおっきくて、それで疲れちゃうとか落ち込んじゃうとかバランス崩しちゃうっていう人は、その想像力を使ったらいいんですよね。絵を描くとか、なんか作るとか、なんか書くとかね。Noteとかね、ああいうの使ってみてもいいんじゃないんですかね。」というようなことを言ってるのを聞いた。それでなんか書くをやってみた。

  Note

 

 


 詩みたいなのや、古い友達に手紙を書いてるつもりのシリーズとか、英語版、結構ワイルドな想像上の物語とか。それも、Noteのハウトゥー的流儀的な、ページを整えて見やすくした方がいいらしい、へー、なにから?というような、もともとの目的と違うことを考え出したら、興味が薄れてきた。それでしばらくほったらかしに。ほんでこれも全部他のと同じで、その時、書いた直後には一定の充足感を得られて、OKラインの上に留まるのに役立ったけれど、持続しない。やっぱり強力なのは、なにかやって自分は人の役に立っているという実感を得ること。家にしか所属していないのだから家で、それと自分の内側から。自分は価値のある存在だ、生きてて大丈夫、という感覚が根底のところで得られていない人には、とりわけ必要だと思う。

 

 

 

 

 それで、そういうわけでかどうかはわからないけど、多分そういうわけでだけど、私もどこかでボランティアか何かしたかった。健康で体力はすごくあるし、自由になる時間もある。人の役に立っている感覚がほしい。私のような者がボランティアをしないで、誰がするの?というくらい、すればよいタイプのチャンピオンのような存在だった。

 インターナショナルスクールに行けば、困ってる人はたくさんいて、簡単に役に立つことができたけど、新しい学校ではそれは子供たちから厳しく止められていたので、オプションになかった。でも外で何かするには、ドイツ語ができないでは話にならない。それで、悶々としつつ、落ち込み曲線を無理やり捻じ曲げて、上向きか、少なくとも水平以上に保つようにして、さっきの色々の対策の組み合わせと走りセラピーで乗り切っていた。



 それでも調子のいい時もあり、そういう時には、今は準備中なのだと思うことができた。ミュージアム訪問で教養ができたら、迷ってる人によいアドバイスができるようになるかもとか、料理の腕をあげておけば、誰か疲れてる人に何か作ってあげる機会がきたときにちょうどいい美味しいものを出せるようになるだろうとか、空想のストーリーを自由に作れるようになったら、悲しい気持ちの子供におもしろい話をしてあげられるだろうとか、花を咲かせて今つらい人にプレゼントしたり、種をあげて希望を持って帰ってもらったり......、と夢は広がった。

 

 全方位的に準備中のスーパーサブ。そのイメージは、希望がふつふつ出てくるようで好きだった。