「子を見れば、親がわかるんです。」
 幼稚園の園長先生が、何かの集まりで親たちに向かって言ったらしい。その言葉は母のお気に入りで、「本当にそうだなと思って!さすがわかってるわね~。園長先生だものね~。」と言ってるのを時々きいた。最後の私が卒園をしてから何年も経ったあとでも。

 1回は、母はマウンテンさんち(男子三兄弟のいた家の苗字。仮名。)の教育とその三兄弟について言っていたんだと思う。マウンテンさんちのお父さんは、アウトドアが好きでとてもおもしろい人で、お母さんは良妻賢母を実写版にしたような人で、聡明でおおらかだった。多分。知ってる時の大部分は私が子供だったから、よくはわからないけれど。私はそこのうちの、3男子の中では一番地味な、次男坊のデベロップくん(仮名)と仲がよかった。おもしろい話をしてくれるし、私の話もよくきいてくれた。図工の図の字の漢字を習ったときに、私が書くてんてんの向きが違うとしつこく指摘してきたときには、本当にうるさくていやなやつだなぁと思ったけれど、彼は親切で教えてくれていた。私はカタカナのツとシ、ソとンとリに、はっきりとした区別があるとは信じていなかったから。あと学校で、デベロップとまみもができてる、と言われるのは嫌だった。デベロップくんはだいたいいつも下着のシャツが背中からでていたし、堀田君みたいなハンサムではなかったから。でも人生数十年やってきた今は思う。デベロップくんみたいな人と一緒にいたら、人はきっと幸せになれる。こっちまで自然に優しくなっちゃうような、そういう人だから。



 それで、母が、マウンテンさんちの子を見ると親がわかる、に合点していたのは、三兄弟がとても活発で発想豊かで、賢かったからだと思う。3人はいつも何かを楽しんでいて、誰かに何か言われても全然気にしない感じだった。ムムもこの兄弟が大好きだった。だいたいムムが好きという人や物は、すごくえこひいきの思い込みがベースにある以外は、本質的によい人やものだった。別の母の合点の親子は、コットンさん(仮名)の親子。お母さんは美人で、娘たちもみんなかわいかった。でも嘘をつくし、性格が悪かった。お母さんは見栄っ張り具合がすごかったよう。娘の誰かの悪口が聞こえてくると、やっぱりね、と母が意地悪ばばあの顔で独り言ちていた。社宅だからか、母たちがみんな専業主婦で暇だったからか、みんなが転勤族で背比べをしていたからか、それぞれの家族についての情報は気持ち悪いくらい共有されていたのではないかと思う。今、書きながら思い出していてもびっくりする。

 人のうちのことをそのように見ていた母だけど、自分ちの子供がどんな風で、その子供たちを見て親の彼女がどうわかられてるのか、考えたことはあったんだろうかと思う。あ、これはとてもばかな思いつきだった。だって、考えてみたら母にはそれしかなかった。人にどう思われるか、それが母の唯一の基準で、プライドで、もう何か知らないけどそれしか大事なことはないみたいだった。だから幼稚園の先生に母が指導を受けるほどお弁当を遅く食べてはいけないし、私がゆみこちゃんのお母さんから注意を受けるようなことがあってはいけないし、染みのついた服を着て外へでてはいけないのだった。なのにやるから、母の文句が止まらなかった。

 寄り道が長くなってしまったけれど、書きたかったのはセンチュリーの親のこと。センチュリーのお母さんは、どちらかというと母に近いような、基準は世間ですみたいな人だったので(でも母より利口だった)、私のことは好きじゃなかった。社宅の大人で私を好きでいてくれたのは、ムムと、マウンテン家のお母さんと、センチュリーのお父さんだけ。ムムはノーリーズン、マウンテン家のお母さんには、地味なデベロップくんを馬鹿にしなかっただけで、少しお気に入りにしてもらえていた。センチュリーのお父さんは、兄たちにもまれて男の子っぽく、ガツガツしていて、どこへでもつっこんでいく私をおもしろいと思ってくれていたようだった。みもちゃん、こんなゲームしたことある? みもちゃん、あれをやろう、みもちゃんがいる方がうちの子だけより楽しいからと、いつも一緒に遊んでくれた。

 センチュリーのお父さんは、数十年後にあの時の社宅族の長に上り詰めた。そこの会社の社長になったのだ。そのニュースが届いたとき、母は、もともと家柄がよかったからとか、上司がよかったとか、負け惜しみ的発言を多発させていた。(父は取締役なんとかにはなったけど、系列会社に縁故で入れていた兄が何かやらかしたため、二年の任期満了前にどこかに飛ばされたりしていた。)けど私は、センチュリーのお父さんが社長になったのは、いい人だったからというのもあると思う。ひねくれて、素直じゃない子供の中にもかわいさを見つけてくれるような優しさがあった。きっとひがみ根性満載で、自信家のくせに小心者でよく怒鳴る父より、同僚や部下、それに取引先とかすべての方面から好かれていたに違いない。ピースがなんでああだったのかはわからないけど、センチュリーがあんなにみんなに人気だったのは、多分お父さんの影響だ。

 園長先生の「子を見ると親がわかる」論で、私が思うのは、センチュリーとセンチュリーのお父さんのこと。それを書きたかった。