4歳の話をこんなに長くしていたら、この物語はいつ終えられるのかわからない。もっとスピーディーに進みたいところだけど、もう一つ。当時の大発見について書いておかなければと思う。

 幼稚園生活。親にとっては、朝子供が行ってから戻ってくるまで、現代的なところなら朝子供を送り届けてから午後に迎えに行くまで、子供が何の時間に何を見て何を考えてるか、知ったこっちゃない。というか、わかりようがない。でも多分どの子も、たくさん新しいことを経験し、ええっ!と、なんでだ、どうして?と驚いて、なんでだよー、ちっ、と嫌なこともたくさん受け入れて、たまにはもう本当にいやだ、誰も見ないで、と壁と壁の間にはさまったりしてる。たまにすごくラッキーな日には、こんないいことがあるのかと感動したりして、感覚器フル稼働で過ごしてる。ただ、その日の感想を、細かく言葉で説明してくれる子は少ないだろうから、大人には知る由もないけれど。

 幼稚園の自由時間に、様子のおかしい子がいた。私が話しかけるとどこかへ行ってしまう。話しかける内容が悪かったのかと変えてみても、タイミングを変えてみても、私の声が聞こえないようにしてそのままそこにいるか、向こうへ行ってしまう。私を見ると走って行ってしまうときもあった。謎だった。なんなんだろうと数日考えた末に、あの子は私を好きじゃないのだと悟った。それは怒りとか悲しみとかでなく、ピュアな驚きだった。小さかった私は相当めでたい思考法を持っていたのか、家族も、近所の人も、幼稚園の子たちも、私が彼らを好きかどうかは別として、みんな私を好きなものだと思っていた。だって子どもなんだから。ひょっとしてそうじゃなかったの?まさか!は、うんとあとからくる。4年生か5年生の夏。暑い、狭い、当時住んでいた愛知県の家の居間で、それは来た。衝撃だった。蝉がうるさく鳴いていた。だから、幼稚園時代に、その様子のおかしかった子に続いて、なんとかちゃんが私じゃない子とばっかり手をつなぎたががるとか、なんとかちゃんが私じゃない子にだけスパンコールをあげたがるとかいう行動は、私にはまだまだ新鮮で、理解には程遠いところにあった。



 私は今では、何て言ったの、聞こえなかった、とよく聞き返されるくらいの脱力した声でしか話さない。スポーツの時はでっかい声で応援したりするけど、普段話すときの声は小さい。声を張り上げて話すと疲れる。夫の声は大きい方で、彼の母親も大きな声ですごくよく喋るので、彼の人の声全般についての標準は大きめゾーンにある。あと、あまり聞かない。彼は中国語と英語と、ほかの言語も少しが使えるが、テストを受けると聴解力が言語4技能の中で一番悪い。なんでかわかる。人の話をよくきいて理解しようという姿勢がないから。そして私の声は小さすぎて、彼には聞き取れないことが多い。多分私の方には話してわかってもらいたいという意欲が少ない。通じる語彙も少ないのに、聞えないのも加わって、夫のイライラは増幅する。または、話すのがめんどくさくなる。



 でも当時、子供のころの私の声は大きかったらしい。どこにいて誰とどこで遊んでいても、私の声だけがよく聞こえてくる、とよく言われた。自分でも少し覚えている。基本はどなるように話していた。きいてもらうには、大きな声を出さないと、と思っていたのだと思う。相手から反応がないのは、その人の耳に私の声が届いていないからと思っていたんじゃないかな。でも多分実際には、相手の人は私の話をききたくなかった。興味がなかったか、うるさいと思っていた。だから反応しなかったんじゃないかと、今はわかる。

 つまり私の当時の大発見、ではなくて、当時はわかっていなかったので正しくは、当時の解明されざる大事実。それは、私を好きじゃない人がたくさんいたらしいということ。