上級受けましたー。
1日目、頭ミョーに冴えてきて眠れない、もこんです。
終了直後からしばらく時間が経って、
ぐるぐる考えて少しずつまとまってきた。
直後の感想からは少しずれてきた。
悩みの解決方法はわかってるんだってば。
と思いつつも
何かがもやもやしていて
わかってるけど実は大切な事忘れてる、わかってないんじゃ、、、という、
奥歯に何かが詰まった感じの何か、が、
少しみえた。
結局解決していなかったんだよ´д` ;
いままで、母親のことをさんざん分析していた。
お母さん、拗ねないで。
おばあちゃんに対するその拗ねを私にむけられても困るし。
私はおばあちゃんじゃないから、最終的な解決にはならないのよ。
本人同士で解決してよね。
わたしに甘えられても、困るのよ。
私が慰めたところで、根本的な解決にはならないのよ。
私はおばあちゃんじゃないのよ。
おばあちゃんとちゃんと向き合ってね。
自分の心に向き合ってね。
嫌いだけど、大好きなんだよね。
それを認められないんだよね。
愛が欲しかったんだよね。
愛を信じられなかったんだよね。
寂しかったんだよね。
甘えたかったんだよね。
その拗ねを自覚すると、楽になるよ。
拗ねをやめたら楽になるよ。
だけど、もういないもんね。
そんな時は、写真に向かってもいいから、文句いうといいみたいよ。言いたかったことをいうといいみたいだよ。
やってごらんよ。
なーんて、延々カウンセラーしてた。
で、結局解決できないわたしが、なんでわたしがそれをやんなくちゃいけないのよーと思いながら、
解決方法を探して探してしまってるじゃない。
お母さんを楽にさせたくて。
で、結局解決できない自分がなさけなくて、落ち込むのよ。
でも、助けたくて頑張っちゃってるのよ。今も。何か解決方法があるはずだって。
で、いつまでも拗ねてる母親に拗ねてる私だ。
そして自分が同じことを子供たちにしているかも、と、気がついて落ち込むのよ。
背筋が凍るのよ。
母親の問題はほっとけばいいのよね。
心配するのがすきなんだから。
悩むのが好きなんだから。
人目を気にするのが好きなんだから。
おばあちゃんから愛されなかったスタンプを集めてるんだから。
私は拗ねれてる人が羨ましくて、
拗ねてたんだ。
ややこしーな。
めんどくせーな。
拗ねたかったのか。
じゃあ、
魔法の言葉は、
「拗ねてもいー。」
なのか?
なんか、じわっとざわざわするな。
「わかりやすく拗ねてもいー」かな。
拗ねれる人が羨ましかったのか。
わかりやすく拗ねてる人が。
拗ねたところで、なんの解決にもならないし、ってすねてた。
ややこしいーなー。
だけど、拗ねてる人をすぐ見分けて、その拗ねを指摘して怒らせたり、なだめたり、
癒したりすることをずーっとやってる気がする。
ほとんど、趣味だ。悪趣味。
人の拗ねはわかりやすい。
そしてうらやましいんだ。
だって、拗ねれるから。
私は拗ねることにバツをつけて
自分の拗ねをあきらめてた。
自分自身の拗ねをないものにしてた。
自分が自分の拗ねを認めてあげてれば良かった。
拗ねそうになったら、
拗ねるより、あきらめや。
拗ねても無駄だよ。
と拗ねることを禁止していた。
拗ねることをやめることからはじまるんだよ。悩みの解決は。
やめたら楽になるんだから最初から拗ねなくていい。
拗ねることはむだ。
だから、拗ねちゃダメ。
拗ねちゃダメ、が、マイルールだ。
うわー。
「拗ねてもいいよー。」だ。
魔法のことば。
わたし、拗ねてたんだ、という発見じゃなく、
拗ねれないことに拗ねなくていいよ。
拗ねてもいいんだよ。だ。
ややこしいな。
人の問題のすべては何かに拗ねてるかだ、そしてその多くは親につながってる、
をなんとなく気がついていたから、
わかった気になって、
拗ねることを禁止していた。
で、拗ねれなくて拗ねてた。
げ、拗ねてるだけじゃん。
ややこしい感じはするけど、拗ねてるだけじゃん、
げ、げ、げー。
ちょっと、ほどけた。
おやすみ。