子育て支援の活動も30年を超えるほど長くなりました。

 

3回分けてそのステージを記録してみようと思います。

興味のある方、おつきあいください。

 

長男は1988年に生まれました。

続いて長女が1990年に生まれました。

我子の育ったのは団地だったので、

困ったときは上の子のママ友がずいぶん助けてくれてありがたい環境でした。

 

例えば、公園に行くとき、下の子はベビーカーで寝ているのに

上の子が走り回りたい!
下の子を見ててあげるから行ってきていいよ。と言われたり。

 

上の子が発熱!
病院に行くとき、下の子をみててくれたり。

 

そんな助け合いの関係があったのです。

 

そこで、私は団地の集会所を借りて

子育てサークルをしようと思いましたが

子どもの体調不良や寝てしまったなどで

鍵当番ができないママたちがいて

ママたちでの運営がここでは難しいのだと思いました。

 

私30代に突入。

1992年、引越しをし、上の子が入園したのを機に

上記の事をふまえて新しいサークルを作ることにしました。

お金は少しいただきますが、

運営を私が担うということにしました。

 

会場にコミセンを借りて、

プログラムを考えて

周知して(当時はチラシを家にいれる・スーパーに貼らせてもらうなど)

1992年10月「ベビーサークルえくぼ」を立ち上げました。

 

当時は、働くママも少なく、幼稚園入園まで自宅で見るという方が多くて

未就園児クラスもなく、入園の3歳まで繋がりがないママたちが多かったのです。

 

週1回。1時間。

身近な素材で遊ぶ、絵本をよむ、お菓子を食べる。その間にママトークをする

というのが、メインでした。

 

行事の遊びや制作をしたり、

夏休みや春休みには、近くの公園に出かけました。

砂遊び、水遊び、探検ごっこなど

一人ではできない遊びを楽しみました

 

このサークルはどんどん広がっていき

多い時は、月~金。天白緑の各地でグループができるほどにぎわっておりました。

 

時折その時のママに声を掛けていただくことがあります。

お子様が結婚した。孫ができた。などなど。

 

中にはあの時のママ友と今でも付き合っていますよ。

と言われる方もいて、大変嬉しいです。

 

 

時代は平成から令和に変わりました。

子育ての考え方も環境も変わりました。

 

でも子育ては一人ではできない!ということは変わっていません。

 

仲間がいることでどんなに助けられることでしょう。

それは私が一番よく知っています。

そんな活動をしながら、私は空いた日にパートで保育士をしたり

ファミリーサポートでお子様をお預かりしておりました。

 

サークルは、午前中なので、自分の子が小学生になった時

帰宅する時間に在宅しているということもほぼできました。

 

でも、サークルの準備で色画用紙を切ったり、何かを作ったりなんて作業をしていることもあり

子どもたちは、遊びの延長でよく手伝ってくれました。

 

 

 

⇒私の子育て支援②に続く

 

 

 

 

 




 

 

 

虹LINE公式アカウント

 →@271yidlqで検索

 https://lin.ee/23KUbnTE8

友達追加

 

 

虹Instagram

インスタがおもしろくなっていますウインク

 手遊び親子遊び動画もあげていますウシシ

 見てくださいねニコ

   @egao_time

  https://www.instagram.com/egao_time/

 

虹アメブロフォロー期間です。
よかったら、フォローお願いいたしますお願い