全ては、全てじゃなかった | 自分を生きるブログ

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日々、暮らし。
この人生に感謝しています。
自分として在り、生きられる世界を望みます。


絵を描くことが

私の全て…


みたいな感覚だった頃


私は、社会とは切り離した場所で

心の内側を表現するんだ

って、思ってた


紙の上は、心の寄り所であり

本音をさらけ出せる

唯一の場所だった








本当の自分は

ここ(紙の上)で、生きていくんだ…


表には出せないと思っていた

自分の“影”の部分


人には受け入れてもらえないと

思ってたし

自分も否定していた



それでも

大切な自分の一部って
心の底では分かってたんだよね


愛おしかったんだよ、本当は。



だから何度も描いたものを見たし

何度も、描いた…





いつからか、

絵とともに詩(言葉)を書くようになった


絵に表現しきれない想いは

文字として

比喩的に、でも具体的に

紙の上に表現されるようになった




血だの、死だの…

そんなことも書いてた








たくさんの楽しい現実とともに

体現することができるようになって



いくつかの悲しい出来事は

紙の上に、たくさん書かれたけれど




次第に

現実についていくのが精一杯で


描くことはなくなり

書くことも減っていった





気が付けば


紙の上が、光りも影も
自分をさらけ出せる場所だったけれど

そのフィールドは
二次元から多次元まで広がっていた


今では、

その影すらもさらけ出し始めて


私はやっと

光も闇もなく、ただ“そうである”という

完全体で生きようとしていて


“何のために生きているのか?”の問いは

十代の時のそれと

今とでは

意味が変わった



“何のために生きているのか、分からなくなっていた

“何のために生まれてきたのか、自分の価値をみ見出だせなかった


という迷いや絶望感から


“何のために生まれてきたのかなぁ、どうなるのかなぁ♪”

“何のために生きているのかなぁ、楽しみ♪”


って、

これからが創られていくことに
キラキラを感じている




…ありえなーい(笑)(笑)(笑)










だから、その、


生きていみないと
分からなかった

生きてみたからこそ、出会った奇跡だとか
知り得たものとか
あれから二十年近くたった今
わんさかあって

まるで、オセロがひっくり返るみたいに

見える色が、景色が変わったし


なんだか全ての“今まで”が
私が望んだ人生だったんだって、思えた



悲しかった出来事も

イヤだったことも




今までの人生全てが

私そのものだったんだ







紙の上も楽しいけれど

現実は、もっと楽しかった


身体を通して感じ、表現することの嬉しさ


描くことも書くことも
体現だけど


もっと外へ
もっと世界へ表現してもいい



方法も、一つじゃない




そうすると

もっと自分(の世界観)が広がる、大きくなる




生きているって

月並みだけと

なんだかんだ、
やっぱ、素敵なんだわ…