今年2月16日0時45分に、私の祖母が亡くなりました。
享年101歳でした。

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子どもの頃、大阪に住む祖母の家に遊びに行くのがとても楽しみでした。

商店街に金魚すくいのお店があるのですが、そこのすくい網がビニール製で、どんなにすくっても破れなくて、祖母が買い物している間中ずっと金魚すくいをしてましたフグ

小学四年生の時、初めてのマンガ本は祖母が買ってくれたものでした。“およねこぶーにゃん”の単行本。嬉しかったです。

トーストにバター塗って、グラニュー糖を振りかけると美味しいことを教えてくれたのも祖母でした。

祖父とすごく仲良くて、いつまでもこんなにラブラブな夫婦がいるんだと、自分もいつか、おばあちゃんにとってのおじいちゃんのような人と一緒になりたいと思いました。

編み物がとても上手で、教えてもらったこともありました。

最近は年に1、2回しか会えなかったけど、チビ兄ととらの事、とても可愛がってくれました。

痛む膝の上に「おいでおいで」と長いことよく乗せて、「よちよちよち」と手を擦り合わせたりして遊んでくれました。

手紙や写真、クッキーなど送ったり、時折電話で話したりしてましたが、ここ2年位は、それらを喜んでもらえる状態ではなく、顔を見せるのが唯一、一番の孝行でした。

去年の夏、最後に会った時、
「えらいべっぴんさんが来やったね~」とニコニコ手を取ってくれたのが忘れられません。」
別れ際、「頑張りよ」と手をギュウーっと握ってくれたのが最後でした。

101歳と思えない強い力で、冷たく透き通る肌で爪の整った綺麗な手でした。

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お通夜・告別式で親族が集まって、母が聞いた話。それまで、自分の娘である母にすら話さなかった話。

曾孫はたくさんいるけど、あの子が一番心配、と、とらの事を話してたそうです。

信心深い祖母は毎日欠かさず、健康に育つようにと手を合わせてくれていたそうです。

それまで、私は…

とらに障がいがあることは話していたけれど、祖母はあまりピンときてないんだろうと思ってました。

ある時「子どもは可愛いやろ。宝物やろ」と祖母に言われて、「うん。。」と答えに詰まったことがあったのですが、「大丈夫。可愛い可愛い」と祖母が手を擦ってくれました。
あの時、心配かけたんだろうな。

祖母は最期の最後まで、母親であり続け、私の母や、私、その子ども達の事を想い、心配してくれてました。そんな素振りをつゆも見せずに。

カッコイイ人だなと、
大きい人だなと、

身体が辛くても、耳が遠くなり、目が見えなくなって、自由に動けなくなっても、呆けることは一切なかった祖母。

いつも家族の幸せを祈り、
家族の至らなさを許し続けた人でした。

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おばあちゃん、
授かった二人の子どもが正直で誠実で強い人間に育つよう、私、尽力します。

ありがとう。

今年も帰省して会いに行くからね。




来週から夏休みです波

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