母のこと(去年の今頃) | アラフィーでいいじゃない。

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去年の年末、

母と年越しするのを楽しみに帰省しました。

 

自宅に着いたら

ベッドに寝ている母。

 

どうした?具合悪い??

と思ったら、なんと、

 

朝、床に倒れているところを

弟が発見したとのこと。

 

弟が朝起きてきたら、

 

 

こんな感じで床に倒れていて、

冬の寒さの中、つけてあったはずのエアコンは

なぜか切れていて

 

弟が発見した時には、

 

意識も混濁していた、とのこと。

 

え?それはもう、救急車事案なのでは??ガーン

「寝かせてたらしっかりしてきたから」と弟。

 

確かに今、目の前の母は意識を失ってるわけではないし、

話しかければ答えるけど、

何かいつもとちがう。

いつもよりぼーっとしている感がある。

まあでも、微熱があるからそのせいかな、、

 

とか悩んでいるうちに来たヘルパーさんのアドバイスで

やっぱり病院に行ったほうがいい!ということになり、

呼びました、救急車。

 

その日は、既にホームに入っていた父の通院日であり、

弟はそちらに行くことになっていたので、

私が救急車に同乗して病院へ。

 

待つこと1時間半。

 

父が通院してきました。

もう歩けなくてホームに入ったので、車椅子です。
そして、脳梗塞の後遺症で話せない父。

 

もう体も起こせなくて寝たままの姿勢だけど、

頭はしっかりしてるから、私のことはわかったよう。

 

そして、

診察が終わって出てきた母(こちらも車椅子)。

 

年末、まさかの、

病院の待合室で一堂に会することとなった我が家族。

 

お互い具合の悪い父と母は、

顔を見合わせてアイコンタクト。

父のよくわからない言葉、

母にはわかるのだろうか。

 

後から考えると、

家族が揃って顔を合わせたのは、この日が最後でした。

父は、この日から約2週間後にこの世を去ります。

予期せぬ時にみんなの顔を見れて、

安心してしまったのかもしれません。

 

 

さて、年末の病院は大混雑で、

なんだかんだ終わって帰宅したら夕飯の時間でした。

 

結局、母が何時間床に転がって

どれだけ寒くて心細い時間を過ごしたのかはわからずじまい。

 

でも、確実にこの日がターニングポイントだったと思います。

 

この日を起点として、母は一気に弱っていきます。

頭も体もすごいスピードで。

 

年末にカニが食べたいと言ってた母。

 

大晦日までに熱が下がって、

一緒にカニを食べて年越しできたことは本当によかった。

 

 

この1年で、

父が他界し、母はホームに入居し、

シングルの私は、帰る場所を失いました。

 

存命の頃の父は口うるさく厳しい人で、

毎年年末年始は帰ってこいと言われて、

正直、めんどくさいし嫌だなと思ってました。

貴重な休みを使って、なぜ帰らないといけないのかと。

 

年末・年始に遊びに行く友人がうらやましかった。

 

そしてもう、私を縛る人はいないわけで、

今年の年末・年始はなにして遊んでもいいわけで

それはもう、はっちゃけちゃったりしてもいいんじゃないかと

今までやりたくてもできなかったことをおもいっきりやったろうかと。

 

そう思ったのですが、

 

長年沁み込んだ習性は

そう簡単に変えられるわけでもなく。。

 

いつも実家で用意していた食材を準備し、大掃除し、

結局いつもの年末・年始を迎えようとしている自分です。