看護の仕事をさせていただき思うことがあります。
私たちの仕事は、人対人、なんです。
そして取り扱う商品はその対する人の心だったり、病気になっているからだです。
私たちの提供しているケアは体の清潔ケア、病気の体の状態の観察、(検温だったり状態の変化の
観察だったりもするかもしれません)
点滴、内服薬の投与、など目に見える行動があります。
ですが、そこでその行動にどれだけ目ににえない行動、サポートが付加できているか。
そこは
以外と評価しにくい。。
なんでかというと、それはサービスを提供する側の個人的な努力、倫理感(自分を律するというか
自分自身の提供するサービスに対するあるべき姿に常に照らし合わせる努力)
に任されていると思うからです。
見える評価として、身体の回復(目にみえる検査データーの回復、身体機能の回線、病気の治癒)
ができていたとしても。。。。
もし、提供するケアをすべてのスタッフがその患者様に目をあわせず行っていたとしたら?
信頼関係がなかたら。。。器械的なかかわり方であったら。。。
患者はストレスで別の病気を併発するかもしれません。。
もし正しい治療、看護をしていても、違う病院探しをはじめるかもしれません。。。
私たちは、病気の体とともにそのひとの心も取扱っています。
その心に負った傷、、不信感、、ってかなり、深刻です
あたりまえですが一度亡くなった信頼って、もうとりもどすの不可能かと思うくらい大変。。
かつ、病気をかかえせっぱつまって、切実になってきてくださっている。。。
だからちょっとした、対応、心配りを何年も何年も彼らは心に刻んでいる。。
それがよいものであればいいのですが、、悪いものだったら。。。
だからわたしは職務遂行中
患者の言葉の裏にあるもの、を察知したい。
その判断tなるもの、、、
訪室したとき、、
「看護師さん、悪いね、忙しい?」
「看護師は大変な仕事だもんね。大変だよね」
こんな言葉盛んにいってくるようなら、患者は今の私に頼みたいけど頼めないと思っている
という事実。。
この言葉をリトマス紙にして、今のわたし。。てんぱってる?
癒しの環境、動作、ことばに至ってない?
と心で瞬時に振り返り。。仕事終了しても、一瞬のかかわりをふりかえり。。。
そして思うのは、自分の心の安定、充実が本当の援助につながるなってことです。
じつは患者が感じ取る、私たちの見えないサービスに対するみえない評価
きちんと分析しないとね。。。