アンニョンハセヨ
アボジの葬儀の続きです。
3日葬中日のこの日の午後、オモニの同級生御一行様が帰られたあと、アボジの弟たちで墓石をどうするか、話合っていました。
オモニ宅の裏山に養ハラボジとアボジの墓を作るのだそうです。
*アボジはその昔、"娘しかいないハラボジの家"に養子に入りました。
夕方、あわただしくなったので何事か聞いてみると、17時からチェサを行うとのこと。係の人の説明では、亡くなった人の夜ごはんの儀式=チェサ
係の人がお供え料理を運んできて、祭壇にお供え。普段のチェサとはちょっと違い、ポジション順にクンジョルをしていきます。女性も。
不思議なのは血縁関係のある、アボジの弟たちがこれに参加しないこと。隣の食堂で酒飲んでました。
夜遅くまで弔問客が押し寄せ、とにかく疲れとクンジョルのしすぎで膝が限界を超えてしんどかったことしか思い出せません
23時過ぎにようやく弔問客が帰ってくれて解放されました。
前の晩みたいにまた、甥っ子(兄嫁の息子)にシャワー室を1時間も独占されたらたまんないので、旦那様が兄嫁に(オモニ村の隣村にある)兄嫁のご実家にシャワーをしに行ったらどうか。今晩は泊まってきたらどうか。とか聞いていました。
兄嫁が甥っ子姪っ子を連れて出て行きましたが、30分くらいですぐに戻ってきました。←断られたのかしら
この日も義理姉様、旦那様、オモニとジャスミンで祭壇の前で川の字+1で寝ることに。もう直ぐに気を失いましたので、誰とどこで寝るとかどうでもいい心境でした
翌朝(3日め)も食堂アジュンマが朝早くから来てくれました。
朝ごはんを食べていると、最後の弔問客がちらほら。
オモニが呼んだ地域のご老人たち。
朝食を振る舞います。
9時からまたチェサ
今度は亡くなった人の朝ごはんの儀式ですってよ
またまたポジション順にクンジョルしていきます。
←こんなん何回も何回もやらんでいいやろジャスミン心の声
10時からは出棺の儀式が行われました。
ここでも泣き女登場。もういいって
というくらいに泣き叫びます。
駐車場まで響き渡ってました。
ジャスミンは悲しみは一切無く、泣き叫びまくる人たちの様子を遠い目で見てました
前日の入棺の時にミイラみたいにぐるぐる巻きにされたので、顔を見ることはできません。バスで火葬場まで向かいます。
韓国は何にしても合理的。この葬儀会場のバスは後方に棺を載せられるようになっていて、20人ほどがバスに乗って火葬場まで向かいました。
この日は近くの火葬場が混んでいるとかで、ウィソンにある火葬場まで高速をぶっ飛ばして行くことになりました。
私たち家族はバスで連れて行ってもらうだけなので、どこの火葬場でも構いません。地域の火葬場に空きが無いから待つなんてことはせず、とにかくパルリパルリで事が進んでいきます。
着いたウィソンの火葬場は新しい施設のようで、とても綺麗でした。他にも何チームもいました。
ウィソンまで行くのが面倒だったのか?バスに乗り切れなかったからなのか?よくわかりませんが、火葬場にはアボジの弟たちは来ませんでした。←最後の最後なのにね。仲が悪かったのかしら
火葬場でも文化の違いがありました。
次の記事に続きます。