アンニョンハセヨニコニコ

アボジの葬儀について、文化の違いなどを忘れないように記録していきます。
*韓国アボジは1月末日、永眠いたしました。

その日の朝、旦那様を見送ったあと、洗濯を始めたタイミングで旦那様より着信あり📲
『アボジが今朝亡くなった。今からすぐに帰る。オモニ宅にすぐに行くから、支度して!』という内容でした。

ジャスミンは案外冷静でいられて、(韓国の葬儀は何日もかけて行うということは、何方かのブログで読んだことがあり、何となく知っていたので)
洗面用具や簡単な基礎化粧品、下着や靴下など思いつくものを急いでまとめて、生ゴミだけ急いで処理。

喪服はどうなるんだろう。。と一瞬考えましたが、(ジャスミンは韓国の葬儀については無知なので、)どうせ義理姉様か兄嫁が何とかしてくれるだろうと思い、そこはすんなりパス。
とりあえず普段着だけど全身黒っぽい服装にして、急いで車に乗り込みオモニ宅へ💨

高速をぶっ飛ばしてオモニ宅へ着くと、下の家のアジョッシ、オモニ側の親戚のおじさん(←一番近くに住んでいる親戚)が来ていました。

アボジの部屋のベッドには、既に冷たくなったアボジがいて、毛布がかけられていました。
オモニは外まで響くような大声で泣いていました。

明らかに冷たくなっているのですが、
旦那様が『119に電話したのか』と聞くと、まだだとか。
旦那様が119に連絡し、救急隊員が一応心肺停止の確認をしてくれました。

既に亡くなっている場合、救急車には乗せてくれないらしく、救急隊員は帰っていき、入れ替わりで別のワゴン車がやってきました。(今思い返せば、葬儀場のワゴン車だったと思います)

そのタイミングで義理兄1も到着し、
ベッドに敷いてあったシーツに綺麗に包まれ、アボジは専用のワゴン車に乗せられました。
家族1名も付き添いで乗っていいと言われましたが、オモニは憔悴していてそれどころではないため、付き添いは無し。
オモニは義理兄1の車に乗り、私たちもたうちの車でオモニ村病院の救急に向かいました。

응급실(救急救命室)で医師が死亡確認をして、書類を受け取り、
そのまますぐに病院の横にある장례식장(葬儀会場)の安置室にアボジは入りました。

韓国では大きな病院のすぐ隣に必ず葬儀会場があり、亡くなったらすぐに御遺体も家族もそちらに移動し、その日からすぐに葬儀が行われます。"ムダ"が一切なく、とてもスピーディーで合理的です。
これはとても感心しました。日本もこうすればいいのに!と一瞬本気で思いました。

義理兄と旦那様は病院からの書類などのため、また病院に戻り、
オモニとジャスミンだけ葬儀会場の事務室(相談室)に通されました。
ここで、葬儀はどうするか?細かな内容を決めたり、費用の説明を受けたりするのです。

オモニは憔悴していて、はい。はい。しか答えられず、
職員のおじさんが『オモニムが(憔悴していて答えるのが)難しかったら、娘さんに聞きますね』とジャスミンに言ってきたため、
『ミョヌリです。外国人なので、韓国の葬儀は初めてでよく分かりません凝視』と答えて終了。
旦那様たちが戻ってくるまで少し待ってもらうことにしました。

ここから長い長い三日葬が始まるのです。実際には葬儀が終わってからも数日間いろいろなお務めがありましたもやもや
今までの人生で一番長く感じた3日間でした。

数回に分けて書いていきたいと思います。