けろみんのブログ

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日記・観た映画のこと・観た展覧会の感想


アンドリュー・ワイエス展 講演記録




「境界、あるいは窓」
2026年4月28日 東京都美術館 講堂にて
講師:豊田市美術館館長 高橋秀治氏


はじめに|ワイエスと“会った人”の話

今回の講演で印象的だったのは、
アンドリュー・ワイエス本人と実際に会った人の言葉から話が始まったこと。

高橋館長はワイエスと直接会っている。

2005年、ワイエスは首にできものがあり「人に会いたくない」と言っていたそうだが、
それでもワイエスが「高橋ならあってもいい」と言って面会が実現したという。

その距離の近さが、この講演全体の温度を決めていた。


展覧会の位置づけ

今回の展覧会は、約17年ぶりの大規模なワイエス展

ワイエスは2009年に亡くなって以降、
作品管理の問題などから展覧会の開催が難しい画家になっている。

そのため本展の狙いは明確で、

写実の巧さではなく、
ワイエスの本質——死生観や無常観を伝えること

にあると語られた。


会場で提示された写真と人物関係

講演では、講師・ワイエス・関係者が並ぶ写真が紹介された。

左端には、メトロポリタン美術館で修復士を務めた土井氏の姿。
ワイエスの周囲には、こうした専門家たちのネットワークが存在していた。

また、なくなる一年前の2008年の展覧会準備時には、
孫娘メアリーとともにワイエスの映像制作も行われている。

さらに“ヘルガ”にも言及があった。
いわゆる「ヘルガ・シリーズ」は世界巡回後、一括購入されたのち分散され、
市場価値が高められていった経緯があるという。


ワイエスの生い立ち

1917年、ペンシルベニア州チャッズ・フォード生まれ。
「ぽつんとした場所」と表現されていたのが印象的だった。

父は著名な挿絵画家
N.C.ワイエス。

5人兄弟の末っ子で、
姉たちは画家や作曲家、その配偶者も芸術家という環境。

幼少期は病弱で学校に通わず、
近隣を一人で歩き回る生活を送っていた。

講演では、

  • 兵隊の人形コレクション

  • ハロウィンのかぼちゃを夢中で作る少年

といったエピソードも紹介され、
ロマンチックで内向的な気質が強調されていた。


父との関係

父N.C.ワイエスは偉大であると同時に、非常に厳しい存在だった。

講演では、

  • ベルトで叩かれたこと

  • 強い批評

なども語られ、「恐ろしい関係」と表現される場面もあった。

一方で、15歳頃までに基礎を叩き込まれたことは事実であり、
その影響の大きさも同時に指摘される。



転機|父の死

1945年、父は事故で急逝。

この出来事について、

世界は移り変わる
同じものは留まらない

という感覚を、父の死が教えたと語られた。

ここで「喪の仕事」という言葉も出てくる。
喪失を内面で処理し、創作へと変えていくプロセスである。


妻ベッツィ

1939年に結婚した
ベッツィ・ワイエス。

彼女は単なる伴侶ではなく、




  • モデル

  • 記録者

  • マネージャー

として機能していた。

エドワード・ホッパーの妻のように、
作品の記録を体系的に残す役割も担っていたという。


メイン州とオルソン家

ワイエスはメイン州クッシングにも拠点を持つ。

ここで出会ったのが
クリスティーナ・オルソン。




彼女は歩行が困難でありながら、
人に頼らず這って生活していた。

講演では、


実際に墓地から家へ戻る姿を見てスケッチした

という具体的なエピソードが語られた。

また、「クリスティーナの世界」絵の中では若く描かれているが、
実際には50代だったという点も強調されていた。


境界という主題

本展のタイトルでもある「境界」。

講演では繰り返し、



  • 教会の開口部

  • 柵(ワイヤーフェンス)





といったモチーフが挙げられた。

それらはすべて、

こちら側と向こう側を分けるもの

でありながら、同時に
意識を向こう側へ導く装置でもある。


作品にみる死生観

《薄氷》






氷の下の枯葉と、水滴の動き。

講演では、

生と死は分けられるものではなく、その“間”がある

という説明が印象的だった。

ワイエスが「日本に渡ったのだが今どこにあるか?」と気にかけていたが生前は見つからず。(現在は三井住友銀行所蔵)1974年以来の展示である


《粉挽き場》

1960年に夫婦のために購入した建物。

有刺鉄線に絡む草や鳩の描写が紹介され、
象徴的な読みの可能性が示唆された。


《ゼラニウム》






赤い花がクリスティーナの存在を示す。

クリスティーナは向こう側の窓の光で髪の毛が靡いているのが印象的



向こう側への意識

講演を通して繰り返し感じられたのは、
ワイエスの強い「向こう側」への志向。

  • 窓の外

  • 海の向こう

  • 光の先

そこには、

行けないが、確かにある世界

がある。


おわりに|講演を聞いて

今回の講演は、情報量以上に「距離の近さ」が印象に残るものだった。

作品だけでは見えてこない、

  • 人間関係

  • 具体的なエピソード

  • 制作の現場感

が重なり、ワイエスという画家が
より立体的に浮かび上がってくる。

静かな絵の奥にあるものは、
決して静かではない。

むしろ、

喪失や時間の流れを、強く意識し続けた人の視線

だったのではないかと感じた。



感想|日本的な不在の美と、場所に宿る記憶

アンドリュー・ワイエスの作品を見ていて、強く感じたのは、日本美術との近さだった。

水彩画のにじみや抑制された表現は、水墨画を思わせるし、
テンペラに使われる顔料も土や自然に近い色が多く、どこか日本的な落ち着きを感じる。

特に印象的だったのは、「人を描かずに、その人の存在を示す」作品群だ。

《ブルーベリー収穫のためのカゴ》や、椅子に掛けられた衣服、
《松ぼっくり男爵》のようなモチーフは、どれも持ち主が画面にいない。
けれど、むしろその不在によって、強く「誰か」の気配が立ち上がってくる。

この感覚は、日本の誰が袖図屛風にとてもよく似ていると思った。
着物そのものから持ち主を想像するあの主題と同じように、
ワイエスの作品もまた、「見えないもの」を見せている。

さらに、オルソン・ハウスを描いた連作についても強く印象に残った。

あの家は、単なる風景ではなく、むしろ「肖像画」なのだと思う。
長い時間の中で積み重なった人の営みや記憶が、静かに染み込んでいる。

滅びゆくものに目を向け、それを丁寧に見つめ続けること。
そこに宿るものをすくい上げること。

ワイエスの作品には、そうした時間の厚みと、
消えゆくものへの静かなまなざしがあるようだ。