目つき、口ぶり、身ぶりなどでも、
相手のまちがいを指摘することはできるが
これは、あからさまに相手を罵倒するのと
なんら変わりない。
そもそも、相手のまちがいを
なんのために指摘するのだ
相手の同意を得るために?
とんでもない!
相手は、自分の知能、判断、誇り、
自尊心に平手打ちをくらわせられているのだ。
当然、打ちかえしてくる。
考えを変えようなどと思うわけがない。
どれだけプラトンやカントの論理を説いて
聞かせても
相手の意見は変わらない
傷つけられたのは、
論理ではなく、感情なのだから。
『では、君に、そのわけを説明しましょう』
こういう前置きは、禁物だ。
これは、「わたしは君より頭が良い。
よくいい聞かせて君の考えを変えてやろう」と
いっているにひとしい。
まさに挑戦である。
相手に反抗心を起こさせ、
戦闘準備をさせるようなものだ。
頁167〜168
2年か3年ほど前に
どういう経緯だったのか?
amazonの中古本で購入したまま
本棚と一体化していた
D・カーネギー氏の『人を動かす』
歌舞伎町の哲学者 ローランド氏の
今までに一番影響を受けた本が
手の届くところにあった!
どんなきっかけで読み出すのか
それも『人を動かす』ことなのだろう。
目次だけを読んでも
対人関係に必要なことが
書き並べてある中で
『誤りを指摘しない』は
いつも覚えておこう_φ(・_・