芝居は読解力 |   SHOWBOAT~舞台船~

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  役者として舞台を中心に活動している明石智水の仕事の事だったり
  日常の事だったり、考えていることだったり。。。徒然草です(*'‐'*)

もちろん読解力だけではありませんが、先ずは読解力。

どんなに演技の技術や表現力を鍛えても、設計図となる台本がきちんと読めていなければ宝の持ち腐れになってしまいます。


と言うわけで、6月のジャズライブとのコラボに向けて、今年に入ってからレッスンで読解を扱いました。


役者が台本を読む時は、普通に小説を読むようにストーリーだけ把握して自分のセリフだけ覚えるのでは全く持って不足です。

書かれていることだけでも

「何故この人物はこの場面でこのセリフを言っているのか」

に始まり

「何故この語尾なのか」

「何故この単語を選らんだのか」

「何故この接続詞なのか」

等々、細かいところまで理解する必要があります。

書かれていないことについても、前後を読んだうえでの鋭い推測力が求められます。

台本は基本的にはセリフで構成され、ト書と言う演出上の指示も書かれてはいますが、殆どト書を書かない作家というのもいます。

日本では別役実さんの作品はト書が少なく、なんならセリフの中に固有名詞が出てこない代わりに指示代名詞(「あれ」「これ」「それ」や「あの」「この」「その」の類)が多く使われています。

海外の有名作家でト書が極端に少ない作家の筆頭はシェークスピアでしょう。

登場と退場くらいの指示しか書かれていません。


役者はト書と言う演出上の指示が台本に書かれていなければ、書かれている台詞と言う情報から推測する必要があります。

この推測力が高い人は演出家が指示を出さなくても的確に、もしくは演出家の想定とは違っていても「それもアリだな」と思わせるように動くため、ダメ出しがかなり少なくなります。


読解力の低い人にありがちなのが

「自分ならこうは言わない」

と勝手に台詞を変えてしまうと言う現象。

「何故その話し方なのか」

が読めていないので、自分の基準に合わせてしまうんです。


6月の『パリアッチョ』は私自身が脚本を書いていますが、脚本を書く人は実はかなり細部にも拘っています。

とは言え、脚本を書いた方が見過ごしている可能性があることには質問をする事はあります。

ただし、質問する時にも「私ならこう言う」ではなく「この役の場合こっちでは無いかと思ったんですが…」という感じです。


レッスンで扱って、更に稽古に入って読めていないと感じるものには、以外かもしれませんが、読点(「、」)や三点リーダ(「…」)、エクスクラメーションマーク(「!」)等、記号の意味合いも含まれます。

特に「…」は、間を意味していることもあれば(その「間」の中身まで役者は読む必要があります)、その後にセリフを読む人への「前のセリフを食って」という指示であることもあります。

間を表す「…」に至っては、そこで欲しい芝居に合わせて「……」と三点リーダを2回続けて置くことなどもあり、役者は何故ここは「…」でここは「……」なのか、まで読めていないといけないということになります。


慣れて習慣化している人は自然にそこまで読んでしまうのですが、慣れていない人は意識して注意する必要があるため考える事がたくさん。



読解を教えるに当たり、一昨年の年末に合格した日本語教育能力試験の勉強にも大切なヒントがありましたし(当然日本語を教える時にはReadingも教えるわけですし)、読解力の高い人と低い人の読解中の思考に関する論文なども読み、先ずは生徒さん達の思考を知ること、自分の思考を意識してもらうことから始めました。

読解力を高める上で必要な能力の中で、生徒さんによって足りないところは違いますし、その原因も同じではありません。

読解力のあまり高くない人は、まず自分の思考を言語化することが苦手ですし、言葉が理解出来れば文章そのものを全て理解したと思ってしまいがちなため、読みながらあまり深く思考していない傾向にあります。


自分は昔「読解力を高めるためには読書が良い」と思っていましたが、ちゃんと勉強してみるとただやみくもに多読することには何の意味もない事がわかってきました。

たくさん読むことよりも、読む時の思考の方向性や深さを変え、それを習慣づけなければいけませんし、不慣れな思考をするためにはあまり長く難解なものを読むと息切れしてしまい続きません。



自分は、有り難いことに、比較的読解力の高い方だと言われますが、それは子どもの頃から読書していたことが大きいと思います。

やっぱり読書が大切なのか?

というと、読書そのものよりも読書の習慣を付けたタイミングと、そのタイミングによる思考の違いだと思います。

子どもの頃って知らない事ばかりなので、読んでいて分からなかったことに敏感に素直に反応するんです。

分からなくても恥ずかしくないから「何で?」「どうして?」「どういうこと?」と言うのが自然に出来る。

特に読書好きの子どもは、学校ではまだ習っていない、生活の中では出会ったこともない単語や漢字、言い回しが使われている設定年齢よりも難しい本に手を付けがちです。

私も小3の頃には図書館で大人の人達が読むような本が並んでいるエリアで、歴史の本、それこそ「何故戦争は起こったのか?」とか、およそ子どもが読みそうもない小さい難しい漢字がたくさん並んでいる本を借りて読んでいました。

分かるのか?って言ったら、分からない事だらけです。

何故なら分からないことを知りたいと思って難しい本に手を出しているから。

そう言った場合には、手に取った本を読んで「これってどういう事?」という疑問を持つことに全く抵抗が無いんです。

「こういうことかな?」「こういう意味かな?」

等と様々な仮説を無い知識で頑張って立てて読み、読み進める内にどこかで答え合わせできた時に、間違っていたらその疑問点まで戻って読み直す。

そうこうする内に、推測力とその正解率、内容の理解度が上がっていくわけです。


大人になってから芝居をするために読むということを始めた人達はどうか。

全てではないにせよ、その多くが自分が既に大人であるが故に、実は深く理解していないことでも言葉として表面的に理解できると(知っていると)「分かった」と片付けて立ち止まることなく読み進めてしまうんです。

「その言葉のこの文脈での意味を考えて別の言葉に言い換えて下さい」

と言ったら恐らく出来ない理解度でも、知っている言葉が並んでいる時点で理解したと錯覚してしまう。

特に母国語に関してはそうだと思います。

外国語だったりすると「どの単語も知ってるのに文章の意味が良く分からない」と言うことが素直に認識出来たりします。


レッスンで生徒さんにも伝えたことですが、国語の偏差値が60超えているのは、18歳の段階で全体の20%にも満たないと云われています。

この数字だけで一概には言えませんが、読解力の高い人と言うのは少数派なんです。

つまり、読み物を読んだ時に分からないことがある方が普通。わからない事があるのは何も恥ずかしくないんです。

これは、自分が留学していた英国でも進学にあたって必要な国語のレベルを満たせず留年したり、進学ではなく技術系の学校に進路変更する人がそれなりに多いことからも、日本に限った話では無いのだと思います。

しかも、国語力と言うのは先天的なものではなく後天的なものなので、鍛えることが可能だと私は考えています。

そのためには「母国語だから読めば分かる」と言う根拠のない思い込みを捨てることが大切だと私は思っています。

この思い込みは読解で必要な思考にストップをかけやすい、最も厄介な障害です。


「分かってるはず」という思い込みは本当に厄介。

読解力の高い人は芝居の台本を「読めば分かる」ではなく、「分からないことがあるかも」と初めから思って読んでいるんです。

逆に言うとこの視点こそが読解力アップのポイント。

分からないかも知れない不安は分かるための動力で、全く恥ずかしくありません。

実際に読んで分からなくても恥ずかしくありません。

分かるための努力をすればいいだけ。

日本人が日本語を読んで分からない事があるのか?

ありまくります!

高校で国語教師に「毎回お前の答案に100点と書くのが悔しい」と言われた私が言います。

「分かんないとこありまくりです!」

日本人だからこそ、外国語である日本語を突っ込んで勉強した外国人より理解していないことも当たり前にあります!

ネイティブだからこそわかってる気になってることが意外と分かってない。

どの言語でもあるあるです!

ネイティブだからこそのあるあるです!


分かってるはず。

この思い込みを捨てること。

「分からない事があるかも知れない」

という前提こそが、読解力を高める原動力です。



さてさて、6月のジャズコラボはまだ5月にも関わらずすでに2日目の6月22日は、昼夜共に既に売り切れ間近。

出演者陣も読解の授業をした頃に比べて格段にレベルアップして稽古に励んでいます。

乞うご期待!







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