聞き間違えからの〜英語学習のちょっとしたコツ的な〜 |   SHOWBOAT~舞台船~

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少し前に聞き間違いについて書きましたが、聞き間違いと言うと、TVでタレントが英語をとんでもない聞き間違い方している場面なんかを思い出しません?

あれって、中には自分で英語で言ってみて「確かに聞こえるわ」と思うものもあるのですが、何故そんなに別物に変換するの?と思うことも。
自分の知っている単語を聞こえてきた音に当てはめようとしているんですよね。

前に、人は言葉ってどれくらい聞いてるのか?って実験をテレビでしていたことがあって、日本語と英語でやっていたのですが、日本語では「おはようございます」と言われた時の反応で実験していました。
結果として、聞いているのははじめの『おは』位まででした。
英語では、イギリスのバスで「◯◯までいくらか?」と聞いて返ってきた返答に対しての反応でしたが、バスの運転手が「70p(seventy p)」(70ペンス)と答えたとき、聞いていたのははじめの『S』だけ。
そう、人って言葉を全て聞いて反応しているわけではないんです。
英語の方のケースでは、運賃を聞いているので金額、つまり数字が言われることは分かっていて、『S』から始まる可能性があるのは1〜10で7 sevenだけ。
では7、17、70と三つの候補が浮かぶとして(700等はsevenの後に別の単語が足されてるだけなので省く)、バスの運賃を考えたとき、当時のイギリスの感覚で言うと、7はポンドなら高すぎ、ペンスなら安すぎで却下。17も同じ理由で却下。70のみペンスなら有り得る数字。という訳で、答えが出るんです。
日本語のケースも、シチュエーションが朝会社の前でというものでした。
このシチュエーションで同僚なら、多分『向こうの声が聞こえなくても「おはようございます」と言ってることは判別できる思うのですが、相手が向こうから歩いてくるため、同僚だと言う認識まで含めたら『おは』までかかったのだと思います。

そう考えると、人は相手の言っていることの一部を聞いて経験から予測変換している事が多く、日本語同士だと、その変換を介さず自分の耳に聞こえたものをストレートに言うと聞き間違えになりやすい。逆に聞き間違えにならない人は変換が正確なのだと思いますし、英語の話せない日本人の聞き間違いは、変換機能が間違えた方向に効きすぎているような気がします。
英語を自分の知っている日本語やカタカナ英語に変換してるんですね。

前にミュージカルのことについて書いた記事で触れましたが、英語と日本語のアクセントは違います。
日本語は音の高低、英語は強弱ですので、英語に不馴れな日本人には英語の強い発音箇所ばかりが耳に入ってくる。弱く発音している部分は、実は万が一聞こえなくても英語が話せれば予測はつくのですが、予測できず変換がかかると全く違うものになるのは当たり前と言えば当たり前。
ちなみに、日本人は英語のアクセントやリズムに慣れていないと英語を早口に感じます。
でも、逆に英語圏の人には、強弱の無い日本語は全ての音を聞き取らなければならない気持ちにさせられ早口に感じるようです。
イギリス人の知人で日本語を勉強し始めたばかりの人と向こうで話したとき、「日本人は英語は早口とか言うけど、日本語の方がずっと早口だよ!」と言われた事もあります。

例えば良く使うフレーズでも
「How have you been?」
(How are you?と同じ。)
アクセントはHowと beenで無理矢理カタカナに直すとするとロンドンのネイティブが言う場合「ハウ ュー ビーン」とかにしか聞こえないこともあります。
「ュー」の前に若干「ァヴ」みたいのが聞こえたりしますが、日本人がこの音まで正確に聞き取ろうとすると早いと感じるわけです。
でも英語に慣れていれば、注意して聞く必要の無い音だったりします。容易に予測できるので。
まぁ、喋れる場合はこれらも一応聞こえてはいますが。

英語の聞き取りを上達させるには、私は大きく二通りの道があると思っているのですが、一つは自分が正確に発音出来るようになること。
もう一つは聞こえてくるパターンを先に頭に叩き込んでしまうことです。
自分が正確に発音できるものは絶対に聞き取れるのですが、英語を教えたりして気付いた事として、聞き取れないと発音できない人と言うのがいます。
耳からの情報の方が重視される人と言うのもいて、こう言う人に正確に発音できれば聞き取れると教えるのは時間の無駄にしかならないんです。
正解が分からないのに、どうやって正確に発音できると言うのか?
このタイプの人は逆に「こう聞こえたら実際はこう言っている」と言うパターンを先に覚えた方が、聞こえるものの真似をしやすく、発音、リスニング共に伸びやすいです。
このタイプは聞こえなくてもいい音ほど聞こうとしているので、極端な話、文章の中で大切な名詞や動詞より、助詞や前置詞と言った部分を必死で聞こうとしていて、内容がさっぱり分からないと言う状態に陥っていたりします。
なので、先ずは聞こえる音に集中出来るよう、考え方をシフトしてもらうことが必要なんです。
何度聞いても聞き取れない小さな微妙な音の正体を、頑張って探る必要は無いと思える状態を作ることが大切。
全部が聞こえなくても良いんだと言う発想の転換ですね。
実際、このタイプでも自分で発音できるようになると、気付いたら聞こえるようになっていたりするものです。
そもそも発音なんて言うのは、ネイティブも単一ではありません。
例えばイギリスで言うと、お隣のアイルランドには元々の言葉にthがないので、Thank youが「タンキュー」と言った感じになる人達がいて、イギリス人はそれに比較的慣れているのか、thが発音出来なければタンキューにしてみると言う程度のことで通じたりします。
「the」であれば「ダ」。
通じる英語を話すのに、模範的な発音である必要は無いんです。
『Hello』なんて、ハローと言ってもヘローと言っても、アローと言っても通じます。
ここを間違えると通じないと言うポイントはあることはあるのですが、発音の幅がわりと広い部分と言うのもあるんです。

※聞こえなくて良い音と言う言い方をしていますが、英語は発音が弱くなった音ほど発音しなくなってきた経緯もあるので、本当に聞こえなくて良いものもあれば、一部聞こえていれば良いものとがあると思います。
本当に聞こえなくて良いものの例としては「I've got to do」の「've」とか。
実際全く発音しないことも多いです。「I gotta」とか言うときも無くなってますしね。


聞こえる音から正解を導き出すための勉強は英語全体を捉える事にも繋がりますし、リスニングだけではなくリーディングでも使えます。
分からない単語を一から十まで調べていると、その文章は読めるようにはなっても(読めたような気になってるだけのこともある)、根本的な読解力は付きません。
日本語だって、分からない言葉が出てきても前後の流れで意味を予測していることはあるはずで、同じ事を目指した方が良いんです。
調べるのは、この単語が分からなければ先に進めない上に何度も出てくる、と言ったキーワードのみにして、ある程度まとめて読んでから予測の答え合わせをする。予測を間違えていたなら、普通に調べるよりその単語は印象に残って記憶に残りやすくなるはず。
コツは、単語の覚え方にもあって、日本語と対にする覚え方をしない方が本当は良いんです。概念で覚えることを目指すと良い。
例えば『Apple』に『リンゴ』と言う日本語を結びつけるのではなく『🍎』を直接結びつける。この概念が日本語でリンゴであることは知っているので、無理して英語と日本語を直接リンクさせなくても繋がります。
特に大人は。
例えば、教えるときに生徒さんが『hesitate』と言う単語が分からなかったとして聞いてきたとします。こういう時私は、英英辞典のような説明をしてそれでイマイチ分からなければ、シチュエーションを説明してHesitateしてる演技をします。
それを見て生徒さんは大抵理解しますが、一発目に出てくる日本語は違ったりします。
「やりたくないのかな?」とか「ためらってるところ?」とか。どれも正解です。辞書的には「躊躇する」ですかね?
言葉同士でリンクさせても、状態や感覚とリンクしていないと上手く使いこなせないので、俳優修行同様、イメージすることが大切です。
時には日本語にストレートに出来ない英語もあります。概念で覚える場合、こう言う英語と出会っても戸惑いは感じません。


聞き間違えの話に戻ると、ぶっちゃけ英語同士にも聞き間違えはあります。
何なら、聞き間違えをネタにしている芸人さん?もいるほど。
パブで客が「Can I borrow a light?(ライターかして?)」と言ったのに、店員がタバコのマルボロライトを出したのを見たことがあります。店員は日本人ではありませんよ。
確かにその客はマルボロライトを吸っていたのですが、店員はそれを知っていてお店にタバコを置いていたので完全に誤変換ですね。
アクセントが来る単語はI borrow lightですし、日本人はIをクリアに「アイ」と発音しがちですが、実際には「アィ」と言うか、イはそこまでクリアには発音しないのでMarlboroのMarの母音と聞き間違えたのかも。
にしても、客の「え?マルボロはあるよ。」と言うような顔が面白かった。

英語学習のコツは、ネイティブだって聞き間違えたりするんだぜぃ!くらいに構えて、模範的正確さに囚われすぎないことです。


明石智水