「白山千鳥」発売日を迎えることが出来 嬉しさでいっぱいです。

作曲者の 朝月廣臣先生との出会いは 今から二年前 「想い出つゆ草」「水茄子ブギ」のレコーディングの日でした。

先生の第一印象は おおらかで 穏やかな優しい空気を放たれている。 そんな不思議な暖かさを感じる方でした。

先生は 初対面の私に
「知美ちゃん。昨日ね 病院行ったら 余命 あと一ヶ月くらいだって言われたんだよ~」



まるで人事のように笑いながらおっしゃって


私は 先生が末期癌だとは聞いていましたが

やはり戸惑い
今 出会えたばかりの 目の前にいる人が あと一ヶ月で亡くなってしまう事を どう受け止めてよいのか
悲しく 先生の笑顔を見ていると切なくなり 回りに気づかれないように トイレに駆け込み わんわん泣いてしまいました。


泣いてはいけない。 先生だって奥さんだって笑顔でいらっしゃるのに
私が泣いちゃいけない。
そしてレコーディングなのに ちゃんと歌わなきゃ申し訳ない。泣いてはいけない。と自分に言い聞かせ 深呼吸を何度として スタジオに戻りました。
レコーディングも無事終え
「想い出つゆ草」が発売になり

余命一ヶ月と言われていた先生とリリース日を迎えられた事は 嬉しい思い出です。

先生は 出会って半年後に亡くなられました。


半年の短い間でしたが 先生の体調が良い日に 皆でスケジュールを合わせて 旅行に行ったり 食事に行ったり

なかなかこの仕事をしているとスケジュールが 皆合わなくて旅行や食事をするのも難しいのに 朝月先生とは ご縁がありました。


朝月先生の隣には いつも そっと寄り添う奥さんの姿がありました。

奥さんは 24時間 先生の為だけに生きている。 そんな人でした。
「一日でも長く生きていてほしい。」そんな奥さんの心の声が聞こえてきそうなくらい。自分の為の時間はいらない。 眠っていても 何度も何度も 先生の様子を見に…本当に献身的に先生に尽くされている姿に 私は「 凄い人だなぁ」と感銘していました。


先生も そんな奥さんの為に 辛い顔 苦しい顔をされなかったのだと思います。いつお会いしても 優しい穏やかな笑顔でいらっしゃる先生でした。

ご夫妻と わずかな時間かもしれませんが ご一緒させて頂いた間に 「夫婦の絆 愛って凄いなぁ」と いつもいつも そう思う私がいました。


先生が亡くなられた時
「先生は きっと奥さんが笑顔で生きて行くことを望まれているだろうなぁ~ 奥さんには笑顔でいてほしいと願って天国に行かれただろうなぁ~」
と 思いました。

先生が亡くなってから 奥さんとは月に一度くらい食事をしたり 買い物に出掛けたり 一緒に楽しい時間を過ごさせて頂いています。
今では姉のような存在です。
奥さんの笑顔を見るたびに 奥さんのかたわらには 先生の面影があります。


「白山千鳥」の事を 今年の一月に 奥さんから お話しを伺いました。

「私もね 先生が亡くなって やっと心の整理がついてきて 今ようやく話せるようになったんだけど…」と

先生が亡くなる少し前に 先生の友人 作詞家の山田孝雄先生が 朝月ご夫妻にプレゼントされたのが「白山千鳥」の詞なんだそうです。

朝月先生が「いい詞だね~」と凄く気に入り喜ばれメロディーをつけられた作品で

その時 偶然 テレビをつけていたら 私がでていて
テレビで歌う私を見ながら先生が 「知美ちゃんも(白山千鳥)こういう大人な歌が歌えるようになれたらいいねぇ」とつぶやかれたそうです。

その時 奥さんが 「この歌が世にでるとしたら 知美ちゃんにしか渡せないなぁ~」と 思って胸にずっと「白山千鳥」を持ち続けて下さっていたことをお聞きし


凄く凄く嬉しくて。


世に出るとも 誰が歌うとも 何も決まっていなかった作品「白山千鳥」


先生が亡くなられて もうすぐ二年…
私のところに縁あって来てくれました。

CDは歌手が歌いたいからと言って世に出せるものではありません。

今回 私の新曲としてリリース出来るのも 奥さんの思い。そして いつも支えてくれているスタッフの皆さんの思い。たくさんの人達の思いから発売へと実現できた事を心から感謝しています。

ご夫妻の愛の絆 友との絆 仲間との絆が込められた 「白山千鳥」

より多くの方に聞いて頂けるよう頑張ります。


姿かたちは見えなくなってしまったけれど 心の中で永遠に生きつづけている

あなたにとって

大事な人

愛する人が

花になって
鳥になって
風とともに
会いに来てくれますように…


そんな願いをこめて…。


皆さんの心に 「白山千鳥」をそっと重ねて頂ければ幸いです。