1986年公開

映画「ドン松五郎の生活」

 

毎日怒鳴られながらの撮影。

耐えて耐えて必死でついていこうとした日々。

 

一度だけ、子犬の撮影が上手くいかず、

撮影スタッフが怒って帰ってしまった誰もいない撮影スタジオで

一人取り残されて、初めて泣いたあの日、

ドッグトレーナーの宮さんから優しく諭されました。

「仕事で泣くのは恥ずかしい事なんだぞ。」

 

4ヶ月の撮影期間、

厳しかった中田監督さんに

中学3年の私は、復讐の意味を込め(笑)

竹下通りで見つけた可愛らしい指人形がついた

赤いマフラーを誕生日プレゼントで渡しました。

絶対、恥ずかしくて身につけてくれないと思い……。

ところが、翌朝、監督の首元からチラッと見える

赤いマフラーが…!!

撮影後半、同じく厳しかったカメラマンさんが

現場ですれ違う寸前に

「西村は、最近、勘が良くなった」と一言!!

 

14歳の私は、悲しくて辛くて虐められているとばかり

感じていましたが、そうではなかったんですよね。

 

 

父親役の前田吟さんからは、

「歩く時、壁や家具を手で触るな」とアドバイスいただき、

私が癖でやってしまうと、軽〜く手をパチンと叩いて

毎回、優しく教えてくださいました。

母親役の名取裕子さんは、撮影後、わざわざ私の為に

カメラマンさんから注意されて理解できなかった立ち位置を

「右足重心と左足重心とでは、アップの時に大きく変わるから、

縦横の決めた目線ポイントと、足の重心を自分で覚えなさいね。」

と見本を見せながら指導してくださった事、今でも忘れません。

前田さんや名取さんには感謝の気持ちでいっぱいです!!

 

撮影の合間は、弟役の中島義実くんや

沢山の俳優犬のワンちゃん達と遊んで

癒しの時間が持てたお蔭で、撮影も頑張れたと感じます。

 

大人になってから中田監督さんと対談した時に聞きました。

「田舎から出てきた方言も抜けていない

演技の「え」の字も知らない少女に、

どう指導したら、女優として成長するのか…?

厳しすぎて、地元に逃げ帰っちゃうのではないか?」

監督さんも、試行錯誤しながら、日々、私の為に

そして映画の為に努力されていた事を初めて知りました。

 

今の若い世代の人達は、打たれ弱いと聞きます。

出来れば私の経験上、どんどん打たれて強くなって欲しいです。

学校の絶対的権力の先生や先輩、

社会に出て理不尽に押し付けてくる上司の存在などは

すごく嫌かもしれないけれど、

自分にとっての心のトレーニングになるので

全てが無駄じゃなく、逆に感謝する日が来るかもしれません。

 

私は最初の映画の厳しい世界を体験したことで、

「あの撮影の厳しさに比べたら、なんてことない。

全ては、未来の私がスキルアップする為の試練だ」

と思えるようになりました。

学習能力がアップしたり、鋼の心が装備されるようになったら、

いつか、その人物に感謝の言葉を述べてください。

もしかしたら、その時見えなかった何かが見えてくるかもしれませんよ。