競馬サークルは2月が別れの季節。
 
昨日発売の週刊競馬ブックに、2月末で定年を迎える柴田政人調教師のインタビュー記事を書かせて頂きました。
 
 

ライターとして記事を書く時、気を遣う箇所はたくさんありますが、中でもかなり時間を割いて考えるのは、冒頭の書き出しです。
 
柴田調教師の原稿も色々考えて。
しかし意外にすんなりと決まった書き出しが、
 
「世界中のホースマンに、私が第60回日本ダービーをウイニングチケットで優勝した柴田政人ですと伝えたい」
 
でした。
 
ご存知の方も多いと思いますが、当時44歳。19回目のダービー挑戦で、ついに柴田騎手がダービーを勝った直後に語った言葉です。

今、考えても。
冒頭はこの言葉以外はないかなと思えるほど、
柴田政人さんを象徴している内容なのではないでしょうか。


 
 
今回のインタビューには、どうしてこの言葉が出てきたのか。
 
そして、ダービーに賭ける思いなどもたっぷりと伺っています。
 
あとは、馬事公苑の花の15期生として、騎手時代から一番、仲が良かったという福永洋一さんとのエピドートもとても興味深いものでしたよ。
 
また、調教師時代には師匠として、石橋脩騎手を育てました。
今回は石橋騎手のことも伺っています。
 
 
 
それから、今回のインタビューで柴田調教師がとても貴重なものを見せて下さいました。
 
それがこちら。
 
 
 
 
 
柴田調教師が騎手時代、今から約45年前に森繁久彌さんから頂いた色紙です。
 
 
競馬ブックのインタビューではモノクロだったので、カラーの写真をブログに掲載しておきますね。
柴田師が騎手として駆け出しの頃、辛い修行をしている時に、森繁久彌さんからこの直筆の色紙が、
この額縁に入った状態で送られてきたそうです。
 
 
森繁久彌さん直筆の
「この道は遠けれど この道をえらびたる」
 
という言葉。
 
 
映画のタイトルになりそうなくらい、素敵な言葉ですよね。
 
柴田師は挫折しそうな時に何度もこの色紙を見て、
この言葉をつぶやき、自分を奮い立たせてきたそうです。
 
 
 
柴田師は今もこの色紙を宝物として大切に保管されているそうです。
今から45年も前に頂いたものを、こうしてほとんど色あせる事なく、保管されているんです。
 
どれだけ大切にされてきたかが、伝わってきますよね。
 
 
 
なお美浦では、2月末をもって柴田調教師の他に、
伊藤正徳調教師、栗田博憲調教師、谷原義明調教師も引退されます。
 
JRAの競馬では、今週末が管理馬を送り出すラストウィーク。
 
各調教師の渾身の仕上げ、そしてそれに応える騎手たちの手綱捌きにも注目したいですね。
 
 
コジトモ