生かされている、ということ
今日も、小さな幸せと、感動と、発見が、ありました。
わたしの大切なひとたちと、対話をしました。
心からの、感謝で、いっぱいになりました。
このたびの、一連の震災の最中、
自信喪失感、を抱いた方。
無価値感、を感じた方。
罪悪感、を感じた方。
わたしたちは、それぞれ、その間、一生懸命、生きました。
誰一人として、例外なく、精一杯、生きました。
溢れかえる情報、に混乱し、
湧き上がる感情、を味わい、
自分にできること、を捜し求めました。
そして、祈りました。願いを込めました。
これ以上の、被害の拡大のないように。
わたしたちの、安全と安心のために。
今後の、明るい未来のために。
あなたは、何から、願いを込めましたか?
-恐れや不安から、でしょうか。
-苦しみや悲しみから、でしょうか。
-感謝と愛から、でしょうか。
そんな中でも、桜は、咲いていました。
わたしたちが創造したものたちの崩壊、
わたしたちの苦しみ、悲しみ、恐れ、不安、
わたしたちの学びのプロセス、教訓、
など、何事もなかったかのように、
あまりにも美しく。
あまりにも輝いて。
わたしたちは、生かされている。
自分自身に、他者に、社会に、世界に、宇宙に。
わたしたちが、この世界を動かしている。それは、錯覚。
わたしたちが、何から願いを込めるのかは、とても大切です。
自己、自然、万物への恐れ、不安ではなく、
自己、自然、万物への愛、信頼、感謝を抱くこと。
そして、すべてと調和・共鳴すること。
そのことが、今後の政治、経済、この国
の行く末を、決めると思うのです。
今回のわたしたちの、本質的な学びを、
なし崩しにしないよう、復興に視点を向けながらも、
しかと、心にとめておきたいと、心から、思うのです。
