これがとんでもなく違ったものなのか、それとも本質的には同じものなのか。
うーん・・・。
共育というとき、その言い方には二種類あるということに気づきました。
一つ目はこうです。
教える者と教わる者という一方向性の関わりがある。
しかし、この過程で、教える者も学ぶという副次的な営みが発生する。
二つ目はこうです。
互いが関わり合いながら学ぶのである。つまりは双方向性。
これは、どちらから合目的的に学び、どちらから副次的に学ぶというのではない。
関係性の中で互いが育っていく。
この見方の違いをクリアにしないまま、あいまいに共育を語ってはいけないのではないかと考えたりしました。
こう考えたときに浮かんだのが、フレイレ(Freire,P.)の 銀行型教育と課題提起型教育です。
大まかにいうとこうです。
(1) 銀行型教育の概念
① 教師が教え、生徒は教えられる
② 教師がすべてを知り、生徒は何も知らない。
③ 教師が考え、生徒は考えられる対象である。
④ 教師が語り、生徒は耳を傾ける-おとなしく
⑤ 教師がしつけ、生徒はしつけられる。
⑥ 教師が選択し、その選択を押しつけ、生徒はそれにしたがう
⑦ 教師が行動し、生徒は教師の行動をとおして行動したという幻想を抱く。
⑧ 教師が教育内容を選択し、生徒は(相談されることもなく)それに適合する。
⑨ 教師は知識の権威をかれの職業上の権威と混同し、それによって生徒の自由を圧迫する立場に立つ。
⑩ 教師が学習過程の主体であり、一方生徒はたんなる客体に過ぎない。
○ 生徒たちが自分たちに託される預金を貯えようと一生懸命勉強すればするほど、世界の変革者として世界に介在することから生まれるかれらの批判意識はますます衰えていく。
○ 銀行員型教育者には、人は他者とともに連帯して生きようとつとめなければならないことが理解できない。
○ 確かな思考、つまり、現実にかかわる思考は、孤立した象牙の塔のなかでではなく、交流のなかからだけ生まれる。
(2) 課題提起教育の概念
現実世界のなかで、現実世界および他者とともにある人間が相互に、主体的に問題あるいは課題を選びとり設定して、現実世界の変革とかぎりない人間化へ向かっていくための教育
対話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉(ターム)、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師 teacher-student with student-teacherが登場してくる。
教師はもはや単なる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教えられると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。
Freire , P. 1970 Pedagogia do Oprimido (= 小沢有作ほか訳 1979 『被抑圧者の教育学 亜紀書房)
抽象的な概念として、「私たちのやっている教育は課題提起型教育だ!」というのはたやすいことです。
しかし、現実の営みとして、この課題提起型教育を実現させるということは、人の育ちに関わる者として、ものすごく大変なことだし、それを教育政策として、実現を図るということは相当に骨の折れることなんだと思います。
うーん・・・。
共育というとき、その言い方には二種類あるということに気づきました。
一つ目はこうです。
教える者と教わる者という一方向性の関わりがある。
しかし、この過程で、教える者も学ぶという副次的な営みが発生する。
二つ目はこうです。
互いが関わり合いながら学ぶのである。つまりは双方向性。
これは、どちらから合目的的に学び、どちらから副次的に学ぶというのではない。
関係性の中で互いが育っていく。
この見方の違いをクリアにしないまま、あいまいに共育を語ってはいけないのではないかと考えたりしました。
こう考えたときに浮かんだのが、フレイレ(Freire,P.)の 銀行型教育と課題提起型教育です。
大まかにいうとこうです。
(1) 銀行型教育の概念
① 教師が教え、生徒は教えられる
② 教師がすべてを知り、生徒は何も知らない。
③ 教師が考え、生徒は考えられる対象である。
④ 教師が語り、生徒は耳を傾ける-おとなしく
⑤ 教師がしつけ、生徒はしつけられる。
⑥ 教師が選択し、その選択を押しつけ、生徒はそれにしたがう
⑦ 教師が行動し、生徒は教師の行動をとおして行動したという幻想を抱く。
⑧ 教師が教育内容を選択し、生徒は(相談されることもなく)それに適合する。
⑨ 教師は知識の権威をかれの職業上の権威と混同し、それによって生徒の自由を圧迫する立場に立つ。
⑩ 教師が学習過程の主体であり、一方生徒はたんなる客体に過ぎない。
○ 生徒たちが自分たちに託される預金を貯えようと一生懸命勉強すればするほど、世界の変革者として世界に介在することから生まれるかれらの批判意識はますます衰えていく。
○ 銀行員型教育者には、人は他者とともに連帯して生きようとつとめなければならないことが理解できない。
○ 確かな思考、つまり、現実にかかわる思考は、孤立した象牙の塔のなかでではなく、交流のなかからだけ生まれる。
(2) 課題提起教育の概念
現実世界のなかで、現実世界および他者とともにある人間が相互に、主体的に問題あるいは課題を選びとり設定して、現実世界の変革とかぎりない人間化へ向かっていくための教育
対話をとおして、生徒の教師、教師の生徒といった関係は存在しなくなり、新しい言葉(ターム)、すなわち、生徒であると同時に教師であるような生徒と、教師であると同時に生徒であるような教師 teacher-student with student-teacherが登場してくる。
教師はもはや単なる教える者ではなく、生徒と対話を交わしあうなかで教えられる者にもなる。生徒もまた、教えられると同時に教えるのである。かれらは、すべてが成長する過程にたいして共同で責任を負うようになる。
Freire , P. 1970 Pedagogia do Oprimido (= 小沢有作ほか訳 1979 『被抑圧者の教育学 亜紀書房)
抽象的な概念として、「私たちのやっている教育は課題提起型教育だ!」というのはたやすいことです。
しかし、現実の営みとして、この課題提起型教育を実現させるということは、人の育ちに関わる者として、ものすごく大変なことだし、それを教育政策として、実現を図るということは相当に骨の折れることなんだと思います。