異国郊外の哀感と時間の堆積――鶴山好一論、あるいは北方のディシプリンとエコール・ド・パリの交錯
戦後日本の具象画壇において、新制作協会を主舞台に独自の光彩を放ち続ける画家・鶴山好一。その歩みは、昭和から平成にかけての最も熾烈な公募展時代における、確かなる造形思考の深化の軌跡そのものである。1950年に北海道に生まれた鶴山は、1970年代から関西新制作および本展で頭角を現し、1989年の新作家賞受賞、そして1993年の「第37回安井賞展」入選、さらには1995年の「第1回金山平三賞記念美術賞展」佳作賞受賞という、戦後具象洋画の最高峰に位置する栄誉を立て続けに掌中に収めた。2001年に同協会会員に推挙されて以降の活躍は衆目の知るところであるが、ここに提示されたS100号や330*210に及ぶモニュメンタルな大作は、まさに彼の画業における「生涯の最高到達点」と呼ぶべき記念碑的作品群である。
本作らの造形論理を紐解く鍵は、作家の原風景たる「北方ディシプリン(風土的規律)」と、後年の渡欧によって開花した「エコール・ド・パリの美学」との幸福なマリアージュ(融合)にある。 鶴山の審美眼の根底には、幼少期に深く刻印された小樽の赤煉瓦倉庫群がある。日本の近代化を支え、やがて時代の趨勢とともに取り残されていった建造物が醸す「静謐な存在感」と「特有の荒涼感」。このドメスティックな記憶が、1989年のパリスケッチ旅行を契機として、欧州の古き裏街や郊外の風景へと自在に変換・昇華された。彼が描く異国の郊外は、単なる旅情の写実(レプリカ)ではない。自己の原風景を触媒として、異郷の地に見出した「宿命的な哀感」の表出に他ならない。
画面を支配する圧倒的な赤煉瓦の構造物、そこに静謐に降り積もる雪、そして微細な落書きや錆の表情は、徹底的なマティエール(画肌)の追究によって生み出されている。キャンバス上で絵具を幾重にも重ね、削り、再び立ち上げるという、肉体的とも言える反復作業。そこには、単なる空間の描写を超えた「時間そのものの構造化(堆積)」が認められる。 これはモーリス・ユトリロがモンマルトルの白壁に託した孤独、荻須高徳が愛着を持って凝視したパリの石壁、あるいは佐伯祐三が命を削りながら画面に定着させた広告文字の系譜を正統に受け継ぐ「壁の美学」である。さらに言えば、児玉幸雄や浮田克躬、増田誠といった昭和洋画の名匠たちが紡いだ情緒的な具象表現と比較しても、鶴山の画面が湛える独自の静謐さと渋み、そして厳格な画面構成は、際立った現代的品格(絵格)を放っている。もし鶴山が1920年代の仏画壇に身を置いていたならば、彼は “邦人洋画家” というドメスティックな枠組みを超え、エコール・ド・パリを代表する “パリの画家” として世界的な評価を獲得していたであろう。
現代のモダンアートおよびコンテンポラリーアート市場(毎日オークション、SBIオークション等)を見渡したとき、これほど巨大な画面の隅々にまで一切の弛緩を許さず、極限まで密度と詩情を充填できる技量を持った作家は、文字通り「絶滅危惧種」と言わざるを得ない。デジタル化され、平面的な視覚情報が溢れる現代において、本作が放つ三次元のマティエールの凄み、そして物質としての圧倒的な存在感は、見る者を一瞬にして沈黙させる絶対的な磁場を有している。
いかなる広大な現代的空間や、洗練を極めた建築様式の中にあっても、この一幅が架けられた場所は、一瞬にして静謐なる「美術館」へと変貌を遂げる。戦後洋画史の正統なる系譜を塗り替えるに足る、美神(ミューズ)に見初められたこの大作は、審美眼を持つコレクター諸賢にとって、世紀の蒐集機会となることは疑いようがない。
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