別にわたしが不思議体験について寛容であると言う情報があった訳ではない。




その連絡は、「いい学校を探している」という親御さんが、どこからか私の話につながって来たと言う感じである。





聴くと、不思議体験を多くする小学生の子どもが、

学校で不思議体験を話すことを先生に咎められると言う。きっと、とても嫌な言われ方をするのだろう。想像に難くない。


簡単に言うとそうだが、たしかにリスクが高い。






私は、過去に取り返しのつかない失敗をして、大事な生徒の、



大事な人生を狂わせてしまった胸の張り裂けそうな経験がある。





一生の不覚である。








残念ながら、不思議体験については、

わからない人には




わからない。









奇人か、精神疾患か、はたまた虚言か、




そうジャッジされるリスクを伴う。






だから、まだお子さんが小さいうちは、心配されるのもよくわかる。






今、不思議体験に目覚める子どもはめちゃくちゃ多いはず。

みんな、隠している。きっと大人が。







どうやらその子に近々、会うことになりそうだ。

私はとても嬉しい。






屋久島に行ってからと言うもの、どんどん世界が変わっていく。



勘は冴えているし、シンクロも多い。
出会いも、変化も、




ただのラッキーではなくて、




私の周りが変化していく。
私自身の考え方も変化している。





不思議だ。






不思議体験。今回の話を仲介してくれた女性とも運命的な出会いで、これから先もきっと深い関係にある。





彼女も不思議体験にも寛容であり、妖精や龍などは見たいと言うが、





私の話のようにリアルなもの(他界した愛犬や祖父などとの再会)は、怖いと言う。笑







うん。わかる。

きっとそうだよね。





でも、私は全然怖くないよと伝えた。

まだ、きっとわからないだろうけど、









すべて、同じもので出来ている。

この世界のものは。






それを、光と言ったり愛と言ったり、宇宙の粒子と言ったり、、私たちの知識の中では表現する言葉がない。







すべて、同じ。


私もあなたも、このコーヒーも、そのゴミも。


悲しみも喜びも


愛する人も憎いあの人も。


見える世界のものも、見えない世界のものも。





あなたと同じもの。
私と同じもの。






愛の粒子。










わかるだろうか。






だから、怖いものなど何もないのだ。




あなたが怖いと「思っている」。それを怖いと言うだけで。








少しずつわかってくれたら嬉しい。





私は、今日もシアワセだ。










私は私である。
私はあなたでもある。