The Source (of Universe)は
全てに答えてくれるわけではない
必要なものに答えてくれるんですね。
自分で乗り切るべき疑問ってのもあるしね
幸い 今回は全部答えて戴きました。
私の中では考え尽くしたことたち、ってことでも
あったかもしれません。
医師の肩書きは私にまだのしかかっていた
そこを立ち去ったことで自責の念にかられていた。
自分で決めたのに
自分で納得したのになぜ
この10年以上解決されない気持ちが
「前世である患者さんを死なせてしまって
ずっと医者で行く、と自分で決めた、そこからの気持ちだ」と教えて貰ったら
なんだ、クセか・・・と
楽になったんですね。
同時に「医者の【クセに】スピリチュアルなんて方向へ・・・」という
これまた自責の念みたいなのがあったんだけど
同時に これは正しいところに繋がる という
根拠のない確信もあって
この両極にあるような気持ちにぶんぶん振り回されてました。
これはなぜ?
私はこのまま「医学」と「スピリチュアル」の間を
縫うように歩きつづけるのだろうか?
私はヒトのやっていないことをやるということで
名声とかがほしいのか
あるいは自分の興味がスピリチュアルという方向にむいたことを
名声や信頼を勝ち得ることで覆い隠そうとしてるのか
なんとも自分の本当の恐れがどこにあるのかもわからない
ぐちゃぐちゃな 恥ずかしさみたいな気持ちがあったのです。
「前世ではね
当時"科学的"と言われた治療もしてたけど
そのうち スピリチュアルなアプローチでヒトを治しはじめたんだ。
とてもいいお医者サンだったよ」
つまりそれも
当時の魂の記憶で
大事な事だと思ってるからなのかしら。
確認で尋ねられなかったけれど
「それは恥じることでも迷うことでもない。
でも今、それをまた突き進まねばいけないというわけでもない。
そのとき ある程度やりきったから」という感じの意味を
時間が経つにつれて受け取ってきました。
そっか。それも魂のクセ、か。
ただ、時代が「五感でわかるもの」に集中しすぎていて
本来説明し得ないものを「科学で説明出来ない」として
自分がそんな学派に無駄に立ち向かおうとしたってだけか。
というかね、The Sourceが教えてくれた前世は
私も覚えている世界で
(恐らく ロンドン、シティのなか。
印象は16世紀なんだけど 石造り、ということで
17世紀かな?大火災があったもんね。
下の、バスが走ってる当たり・・・からの風景を覚えてる)
当時 やっぱりおなじことを医者仲間にいわれたんだよね
(これは記憶の中にある)
でもだまって 患者さんを治すことで私は示してきた。
私がだまってるもんだから ずっと陰口は続いた。
名が知れれば知れるほど 陰口はきえなくなった。
なーんだ。
そういうことか。
ちなみにロンドンに居た頃
「この辺しってるからいいや」と理由もなく思って
自分で「・・・ん?」と思った シティ オブ ロンドンは
ちょうどセントポール大聖堂の時計(だけ)が
道の曲がり具合で見えるところ
イメージはもうちょっと 時計が遠くに見える。
そういうところで 住んでいたか
プラクティスしてたか。でした。
当時は もっとごちゃごちゃして
雑多だった。
・・・なんてことがずるずると出てきて驚く。
続く。