自分の言葉が出てこない時は

焦っても仕方無い、とおもうんだよね。

 

 

インターネットの露出度数ってのが

あるとしたら

ブログはその度数を引き上げる1つだけど

FBも 同様にね。

 

 

気が向かない時は

向かない理由もあるよ。

そんなことに気をむけてられない

そういう時期だってあるよ。

言葉では説明できないことだってあるし

「リアル」と言われる世界を

まずきっちり固めるのが必要だしね。

 

 

届けてイイ言葉

届く言葉

響く言葉

残してイイ言葉

 

 

いろんなのがある。

書けない時は 自分で「これは残してはいけないモノ」と

ちゃんと判断してる、ともいう。

 

 

そんなときは日常の一コマを記事に、って

教わりもしたし

実際自分でもやってたけど

 

 

どうなんだろう。

消えてないよアピールって必要な人ばっかりじゃないよね。

 

 

私は ネット上であっても

そこにその人の気持ちや状況を拾ってしまうから

苦しい中明るく書かれたものには

喉がきゅうっと締め付けられてしまいます。

 

 

 

 

書けるようになった時で いいよね。

 

 

 

 

例え オンラインであんまり見かけなくなっても

あなたが生きている限り

そう 私はうけとっているし

いつかまた 話せるようになるって分かってるし

 

 

 

私もほんのちょっとの波で

言葉が書けなくなる。

 

 

 

「明けない夜はなくても明けて欲しくないときもある」

それを書いた友人へ

心から それでも夜は明けること

良い事は必ずまたくるってこと

友人として それを信じてるよ。

 

 

 

義務感でやるべきことなんて

実はあんまり無いんだと思うよ。