ここを時々のぞいてくださる方に
借り物記事が人気ないことは重々承知(ありがとうですね、ホントは)


でもほんとに松原靖樹さんというかたの思考と
言語化のちからは
外に知らせていかなきゃいけないモノじゃないか、とおもっている。



ほぼ日コラムはメルマガなんだけど
とても刺さる言葉がいつも並んでます。
時々読みたくなくなるくらい 笑



今日も私にはちょうどぐるぐると回ってる部分。
「説明しなきゃ」と思ってる自分と
「過程の説明なんて無駄(不確定要素が多すぎ)」と思ってる自分と。
それでもそのなかでマイルストーンをピックアップするから
自分でうそつき、って思うんだな。



昨日の、そうなのよねぇ、私達って
無理に仮定して 照明されるから正しい に固執するのよねぇって
再度反省と共に読んだ コラムです。


【全ては「分かる」からはじまる】


携帯電話でも、地下鉄でも、量子力学でも、

トリカブトの根を食べてはいけませんでもなんでもいいけども、

そういうのがいつはじまったのか?というと、

最初は必ず誰か1人か2人の発想・着想、冒険心、

そして知りたい欲求から来ています。



発想・着想の目的地は「分かる」で、

冒険心の達成もやっぱり「分かる」で、

知ることができると、「分かる」になっていく。



全ては「分かる」を中心に世界が回っている・・・

といっても言いすぎではないということです。

(いや、さすがに言いすぎかな・・・)




正確に言うと、

分かりたいという気持ちや欲求(「知りたい」とか好奇心でもOK)が

分かるための行動を取らせて→最終的に分かる状態に行きつきます。

この一連の流れを、一応全ては「分かる」からはじまるとします。



そうやってスタートした「分かる」の旅は、

ほとんどの場合偶然によって目的地にたどり着きます。

で会った人に道を聞き、道に迷い、回り道をして、また人に聞いて。

人に出会うことや、枝分かれした道を間違った方向に行くのも偶然。



なんだけども、多くの人はガイドブックやガイドさんに頼んで、

偶然など起こらずに体系的、論理的に物事が進むと思っています。

原因と結果の2つで物事はできていると思いこんでいて、

だから、悪天候によって飛行機が飛ばない・・・

とかなると、グランドホステスに大がかりな文句を言ったりします。

(接客業はつらいのだよ・・・)



人間は、自分がやっていることに意味がないとか、

全く狙い通りに進んでいるのではないとか、

目的地に着実に向かっているのに望み通りではないとか、

とにかく思い通りにならないことに対して苛立ちを感じるか、

最初から「これもまた意味のあることだ」と理由づけをします。



偶然の力の大きさをものすごく軽く見るようにできています。




ともかくも「理由づけされた偶然」によって、

めでたく「分かる」にたどりつくと

それを信じたり、法則化や体系化しようとしたり、

人に教えることで貢献しようとしたり、誇示したり、話したり、

自分にとってインパクトの強かった「分かる」ほど

ともかくも何としてもその物事を二次利用しようとする・・・

なんていう傾向があります。



そんなときにこんなことが聞こえてきたりします。

「教えるともっとよく分かる」という系統の言葉。

反復によって心理的に「分かる」を強化する、したい、

というメカニズムがせっせと働きだします。



が。

困ってしまうのは、そうしてガイドに案内された「分かる」が、

偶然の可能性を無視した「理由づけされた偶然」によって

分かってしまったフリをしているのだけども、

本当は何が分かっていてということもあやふやだったりするし、

それよりも量の多い本当は何が分かっていないのか?

ということには全く目が向かなくなってしまいます。



うーん。公平じゃないですね。物事の見方、分かり方が。



それでも人って、あくなき好奇心によって分かろうとし続けるわけです。

ほとんど分からないことだらけなのに。分からないことだらけだから。

この「あくなき好奇心」「分かりたい欲求」はものすごく大きくて、

そのためにありとあらゆる力や技を使うわけです。




松原靖樹