長いので 興味のない方 すっ飛ばしてくださいね。


私が英語を苦手としてるのは周知の事実ですが
親業をやらせていただいているうちに 英語圏であるにもかかわらず やりたいことが増えてきます。

先日 一年以上悩んで うちの子供たちを公文にいれました。
公文のやり方、考え方は好きです。自分でやったことはなかったけど。
問題は、ことばなんです。
あ、算数はまだ殆ど英語・日本語関係ないし
reading(単語や文法から始まるのです)のほうについて言えば
特に我が子は 日本語を自宅で強要(笑)されているので
英語の語彙は少ないし 文法も弱いから良いんだけど・・・・(だから丁度良い!)
それに子供たち、英語の本を読むのは私よりずっと早い。けらけら笑ってるくらい。
だから英語それ自体が問題じゃないの。

日本語 です。

私はね
公文のやり方で 日本語覚えていって欲しいな って思ったんですよ。
本当は 公文を考えた一番の理由がそれ。
一年以上迷った理由もそこ。

今 通信教育もやってるけど
量は無理ないと思っても 子供が飽きてしまう
モチベーションが続かないから。



でも ここで日本語の公文教材を使う条件は

#英語で公文の先生の資格をとる
#日本語の研修をとる
#日本人である

事なのだそうです。

英語で資格を取ること、それ自体は吝かではない。
でもそれには家を空けなければいけない時期が出ます。
東海岸に飛んで、5日間ほど泊まり込んで。
そしてそれが2回。


ここまでの 先生の資格を取るまで 大体1年だそうです。

日本語研修のため フェニックスにも行かなければいけません。
1日だそうですが、母親が丸一日家をあけるのが楽ではないのは
考えなくても当たり前。

日本での公文の先生の養成の仕方を見ると
少なくとも研修場所までのアクセスがいい。
なぜなら 大抵申し込むのは「おかあさん」だから。



日本語を覚えたいという子供、覚えて欲しいと思う親
その人たちのために 日本語だけの公文はあってはいけないのかなー。

みんなを教えるため、という前提でなら
英語の資格をとる理由もわかりますが。

英語を教えながら日本語も教える、ということの本当の難しさは
実際にやっている 私達だから分かること。
だから「日本語を」教える教室がほしい
「日本語の問題の解き方」を教える場所がほしいのに。

「ある教室で国語だけを別の先生が教えることはできませんし、
国語の教材だけを取り寄せて使用することもできません」

というのが 北米公文からの回答。

じゃぁ、算数と国語のセットなら
日本語だけで教えて良いのかな?

どうして アメリカでは日本語公文をやってはいけないのかな?
言葉が分からない子供への差別になるから?
でもそれなら、英語だけではなくスペイン語も必須にすべきじゃないの???



愚問とはわかっていても なんかすっきりしません。
日本語用の教室を開かないとダメ、っていうなら それも仕方ないかとおもう。

だけどね。



この辺りでも日本語を教える教室を開いている人達がいます。
でも殆ど話す、簡単なモノを読む、簡単な文字を書く、になっているらしい(らしい、で話すのは失礼ですが)。
そして 我が子は取り敢えず そこまでなら自宅でOKなんです、日本人家庭なので。


違う言葉の中に暮らしながら
日本語を学んでいくことって 絶対楽じゃない。
大抵の子供は どこかで諦めてしまう。
聞き取れても 話せなかったり。読み書きはダメだったり。
私の知人には
小さい頃 諦めないで続けていればよかった とつぶやくひとが
何人もいます。


日本人のアイデンティティーを絶対持っておけ、っていうわけじゃない
でも 自分が外に出てみて分かる 祖国の良さを
子供たちが忘れていくことが悲しすぎる


歴史的なこと、日本人特有の「外国への憧れ」「自己卑下」はあっても
今ここにいる 日本を殆ど知らない2世、3世の人達のように
「祖先は日本だけど 知らないんだ」って寂しそうに言うひとたちのようには
少なくとも 自分の子供はしたくないんです。
両親 日本人なのだから。


子供が飽きたり 嫌になったりしてしまわないこと
小さいクリア目標を いつも到達できるという気持ちを持たせること
そして 公文がそれを実践してきているからこそ
期待するのにな。



言葉は文化だ と良く言われます。
昔から 他国を統治するために 言葉を統治国のモノに統一するというのは よくされてきました。
もちろん そこから文化の混合がおこり 独特なその地域の新たな文化を創り
さらに魅力を増した地域、人々を作ったというのも沢山あります。
だから 全部否定するわけではないのです。

でも 日本語にしかないニュアンスを
日本語として読み取れる行間の心を 
それらを理解できる力をやっぱり持っていて欲しい。
だから 言葉を教えたい。



公文の先生になるのが私にとって本当に大事なことなのか分かりません。
私にもやりたいことがある。
だけど 子供のために時間を割く覚悟をしたのはウソではない。


折角 日本からでた 素晴らしい勉強法を持った公文。
それを 世界中にいる日本人に 日本語を正しく覚えていくために使うってことも
始めて欲しいんだけどなぁ。


と、また言っても仕方ないことでぶつぶつ言ってる私です。


まとまりのない長文、お付き合いいただいてありがとうございました。