どうして物事を丸く収めようとするのか。と、ずっーと考えていた。

本音が言えないの人は、実際一番自分を苦しめている、感情的反応は噓をつけない。前向きな愛の意図で本音を伝えることは、決して悪いことではないことがわかる。と、この前のクラスで先生がそんなことを言っていたようなことをメモっていました。ホントにそうだよな。今までずっと表明できないできたなあ。表明するのが怖かったし、自分に自信がないし力もない。違和感を感じながらも、保身で生きてきた、沖縄クラスでも。30代から50代に父親の下で勤めていた。あの頃は父親にとにかく従わなければいけなかった、何故かと言うと、昭和の一桁の父で意見するとそれはそれは、怒りだす。ダメ出しをされて却下される、それが当然のようにされていたし、どうせこの人には何を言っても無駄だし自分がキズつきたくないし、従っていればごたごたせず面倒臭い嫌な思いもしなくていいから、とにかく黙って聞いていればその場は丸く収まると、いたたまらない時は、反論したりもしましたがどうしても受け入れてもらえなかった。父を納得させる力も自信もないから、それよりも荒立てないで丸く収めた方がいいと、諦めていたし、あの頃はそれがベストな選択だった。あの頃からそう決めつけていたかもしれない。だから、いつも心はスッキリしないし悶々としていたなぁ -。意識のマップでのプロセスは隷属だった、あのあたりで生きていたんだろうと思いました。表明しないという事は相手にとってもよくない状態を増幅させることにもなる。それは自分の課題だと思います。それで○○さんには太刀打ちできないというパターンがずっとそこにいたんだ。出てきてくれてありがとう。これからはあなたの事をほっとかないよ。とパターンに語っていきます。棚に飾ってある亡き父の写真を見ながら気付かせてもらってありがとう、と。