このことは家族や友人にも話したことはなく、ただ、この泥沼からなんとか抜け出したいという思いで、ある臨床心理士に打ち明けたことがある。
「8回のカウンセリングで大抵の問題行動は治る」という触れ込みにつられて、望みを掛けて一回4万円、8回で32万円の料金を先払いした。
8回通った。それでも治らなかった。
「食べた物を吐く」という行為を初めてしたのは19歳くらいの頃だったか。
食べ過ぎて、この胃の中の物を出してしまいたい!と思いついてしまい、吐いて見たら凄くすっきりしたのを覚えている。
そんな軽はずみなことから始まり、そこから随分長く抜け出せなくなってしまった。
こんな自分は気持ち悪く、恋をしたり就職したり実家を離れて一人暮らしをするようになったり…何か転機がある度に「もうやめよう、ちゃんと楽しく食事が出来るようになりたい。人に知られたらどうしよう…」そんな不安から、自分の中で誓いを立て、しばらくは我慢出来ることもあった。
しかし、何かのきっかけでまた始まってしまう。
そんなことが結婚して子どもを授かってからも続いた。食べると吐くことばかり考えて、思うように吐くことが出来ないとイライラした。不安になった。
元々太っていたわけでもなく、運動も得意な方で、何故もっと痩せたい…と思ったのかわからない。食べた分だけ太るのがとても怖かった。
もっと華奢な身体で、か弱くなればみんなから守られて大切に扱って貰えるような気がした。
様々な転機がある度に新しい自分になろう、なりたいと思った。でも出来なかった。
食べて上手に吐くことが出来ると満足だった。
でも少しすると虚しさが込み上げてきた。
抜け出すために色々な試みをした。
たくさんの時間とお金を使ってしまった。
夫を騙しているような気持ちが常にあった。
振り返るのが辛く苦しかった。
もうどうすることも出来なかった。
もはや食べて吐くことを超える楽しみが見つけられなかった。食べたい物を食べるというよりは、吐くための物を食べる感じだった。
毎日何事もないように取り繕いながら生きていることが大変だったけど、どこかで開き直り、何かと比較して、それよりマシだと自分で落とし所を作っていた。
そんなこんなしているうちに20年近くの歳月が過ぎ、そしてそんな日々を終わりにする事件が遂に起こった。
二人目の子どもがお腹にいた7ヶ月目のこと。
助産院で出産する予定で、出産時に何かあったときに備え、提携している総合病院へカルテを作りにいく決まりになっていた。
更に胎児の心エコーを撮る事がセットだった。
そこでお腹の赤ちゃんの心臓に異常が見つかった。「お腹の赤ちゃんの心臓に異常が見られるので、日を改めてご主人と一緒に来てください」
長い時間待たされ、長い時間検査し、もう日が暮れていた。私にその告知をした先生が蝋人形にみえた。
止められない胸騒ぎを必至に沈めながら車のハンドルを握った。怖かったけど泣くこともできなかった。ドキドキと心臓の音が聞こえた。お腹の中の赤ちゃんの存在が苦しみの塊のように思えてきた。
そして頭の中に聖書の言葉が迫ってきた。
“それは、あなたを苦しめあなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった”
“わたしに立ち返りなさい”と。
その日から過食と拒食の泥沼から這い出た。
そんなことしている場合じゃなかった。
あれから15年の月日が経とうとしている。
今も時々夢を見る。
“吐かなきゃ吐かなきゃ”って。
あー良かった夢で。
息子は診断の通り様々な障がいを持って生まれてきた。だけど幸せだよ。本当にありがとう。感謝してる。あなたが生まれてきてくれて、ママは美味しく楽しく食事が出来るようになったんだ。
だからまた今日もこれからも栄養たっぷりのご飯を作るからね♡