
人生もこのように、思い切り良く、本当に必要なものと、必要でないものを見極めてスッキリさせるべきだと片付けをした後の清々しい気分から思いました。
やれやれとお昼過ぎに練習&お昼寝を予定していましたら、急にベルが鳴り、家の点検・・・「そんなの聞いてない」「大家さんが忘れたんです」「・・・」時間がありましたから良かったですが、ホコリの靴でどかどか上がり、家中を歩き、居間の棚の後ろ・・・「ここには建物全体の煙突の穴?が通っているから壁に穴をあけるよ」と言い出す始末。
「ちょっと待って。前に住んでた人も、その前に住んでた人も、穴をあけなかったわ。何で今、穴をあけるのよ。いやだわ」「新しい規則です」とあっさり言われ、家の中で穴開け工事・・・
ああ、居間にホコリが・・・
しかも何をするか、わからない工事のおじさん。
監督していないといけないので、ずっと同じ部屋にいて、1時間半くらい付き合っていました。
終わった後は掃除機に床ふきに・・・・午前中にお片付けしてくたびれたのに、さらに仕事追加~~~~(涙)
おじさんが帰った後は15分横になって、次女を迎えに行き、バレエ教室に連れて行きました。
私は家に帰って、ヴァイオリンを練習し、クセニアさんに頼んでお迎えしていただき、煙突のおじさんの件のために予定が狂い・・・夕飯も作っていただくのをお願いして、そのまま、ある人気ヴァイオリニストのコンサートを聴きにムジークフェラインまで出かけました。
ベートーヴェンの2番、6番と7番のコンサートでした。
現代的な表面的な演奏で、私は全く気に入らなかったのですが、そういう演奏でも名前で人はコンサートにやって来る訳です。
何から何まで本当に気に入らなかったのですが、そういうものも逆に反面教師として自分のベートーヴェンの音楽がますますハッキリしてきますし、こうは弾きたくない、こう弾かなきゃって確信をするので良い学びでした。
解釈は色々合っても良いのですが、なんといっても基本はやっぱり作品に対する敬愛の心です。
それがない場合は、聴くのがとても辛い。そして腹立ってきます。
先日のエドウィン・フィッシャーの言葉、http://blogs.yahoo.co.jp/tomoko_mayeda/29714846.htmlこれがない演奏が、機械的な社会になってしまった今、とても多いような気がして残念でたまりません。
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われわれはもはや、「私」が演奏しているとは感じない。
「何物か」が私に乗りうつって演奏しているのである。
見よ、かくてこそすべて正しいのだ。
あたかも神の手によって操られているかのごとく、メロディーは諸君の指から流れ出る。
諸君のこころはこの流れに満たされる。
そして諸君はこの流れに身をまかせる。諸君は、謙虚に頭をたれながら、演奏芸術家たることの最高の幸福を体験する。
・・・・・・・神的にして永遠なるものと人間との、ただの中間者、媒介者たることの幸福を。
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このことが、私が演奏をなぜするのかの最も大事なポイントなのですから・・・。