はじまり。 | 前田智子オフィシャルブログ「t-made」Powered by Ameba

はじまり。

私が、受精卵凍結という道を選ぶまでには、2段階の衝撃があったと思います。

 

ことの発端は、

35歳という数字への漠然とした不安とコロナの不穏。

 

 

コロナパンデミックが世界中を震わせる前の私は、

仕事が楽しく、課題とできることが具体的に見えてきた中で、何かが動き出しそうな予感に溢れ、

今が頑張り時!というエネルギーに溢れた歳を生きていました。

そして、

なんとなく、35という数字を見据えていました。

 

「35歳を超えると妊娠率がさがる」

どこから仕入れたのだか覚えていないこんな情報が脳裏にあったかもしれない。

*この数字が果たして根拠あるものだったかどうかついては、また後日、しっかりとお話しします。

 

 

今思えば、

自分の中でもあと何年頑張って、それまでにここに行く、

そうすればもしかして子どもという選択肢もあるかもしれないと漠然と算段がたっていたのかもしれない。

なんとなく、「まだ大丈夫だ」という気持ちがありました。

 

そうして、指折り数えて一年一年を過ごす時期、

コロナが立ちはだかったのです。

 

目の前には壁。

多くのみなさんと同様、「今まで」が通用しない中で、「この先」なんて見えるはずもなく、考えられない。

 

何もかもが止まってしまったような、不思議な生活のなかで、

止まっているようで、しっかり流れていた時が過ぎ去り、

気がつけば、35歳は目前でした。

 

こんなに先が見通せない中で、「親になる自分」か、否か、選ぶべき時がきてしまったのだろうか。

まだ何もできていない。

パートナーと決めるための、気持ちも環境も準備なんて整うどころか始められてもいない。

でも差し迫っている「らしき」リミット。

 

そこでふと、思ったのです。

そもそも、私にまだ子供を産むという選択肢が残っているの?

 

しまった。

考えてこなかった。

疑ってこなかった。

突然、不安になりました。

まだ持っていると思っていたものが、実はすでに遠い昔にどこかへ置いてきてしまったとなったらどうしよう。

 

 

とりあえず、自分がどんな状態にあるかもわからずに、

未来設計しなきゃ!と焦るのはエネルギーの無駄遣いだから、検査を諸々やってみよう!と決意しました。

 

いざ検索してみると、

「ブライダルチェック」=結婚を前に検査したい方

「妊活チェック」=今すぐ子供を望んでいて、そのファーストステップ

などなど

 

クリニックによって名前も値段も内容も違うけれど、

実際今すぐに子供を持とうというわけではない私にぴったり当てはまるものはこちら!と誰かが指し示してくれるわけはなく、

今どんな検査が必要なのか、どんどん混乱。

散々口コミも読み、勉強もしてみたけれど、いまいちピンとこなかったので、

えい!っと思えるうちに、近所で、綺麗そうな病院に決めました。

 

*ちなみに今になってから、助成金でもっと安価にできたかもしれないことを知ったので、やっぱりリサーチ不足だったと思う。

と同時に、とにかくファーストステップが踏み出せるところを選べばいい!とも思います。

 

結果が出るまでの10日間くらい、やっぱり息がつまる思いで過ごし、

いいニュース、

悪いニュース、

どちらのニュースであっても、聴いた後の自分は妄想しきり、どんな面持ちでいていいのかふわふわドキドキしながら来院。

ついに結果をきいてみれば、

 

「問題ないです。」

 

なんと淡白!!笑

 

問題があるよりもちろんいいのだけれど、

渡された書類に書いてある数値は全て基準値内、子宮もみたところ問題ないし、

AMH値は27歳以下の値だと告げられました。

 

素直に、「やったぁ、若いらしい」と喜び、

得体のしれない「大丈夫」に根拠をもらえたようで、とっても安心しました。

とりあえず、現状、まだ子供をもつ選択肢が残されているらしいぞ、と。

 

 

でも話はここでは終わらないのです。これはほんの始まり。

 

 

この検査結果をきいた時に勧められて、

じゃあついでに!くらいの気持ちで子宮頸がん検診を受けました。

(お住まいの地域でも検診がきっとあります。値段も抑えられるので、まずみなさん検診をぜひ。)

 

27歳以下と言われ、心配していた本来の疑問が解消されたから、意気揚々と結果を聞きに行ったら、

なんと、

「紹介状を書くので大きい病院で再検査してください」と告げられました。

つまり、何かが問題らしいということだけは、脳天直撃。

 

頭は真っ白。

 

この検査をご存知の方からしたら、まだ細胞診の段階でそんなにショックを受けるなんて、と思うでしょう。

今、振り返れば、私もそう思う。

 

 

でも、「27歳以下」でハッピーダンスをしていた心が、「再検査」でフリーズ。

 

 

とりあえず、再検査してみて的なことを明るいトーンで言われたと思う。

いや、慌てることはない、という冷静な自分と

慌てた方がいいのかも、という自分が共存して、

猛烈に揺れ、困惑し、放心。

 

 

詳しいことがわからなかったので、待合室の椅子に腰掛けて待つ間にスマホで思いつく限りを検索しました。

同時に全く専門は違うけれど医者である姉にLINE。

「これ、どれくらい心配したほうがいいこと?」

 

姉はすぐに動き、周りに話を聞き、紹介状の宛て先を相談してくれました。

 

ちなみに、私の診断はSevere Dysplasia 高度異形成の疑い。

再検査してみないと、

浸潤してガン化している・もしくはしそうで 手術がいる、か、

それとも経過観察のレベルかわからない状態、だったそう。

 

決して、だから今すぐ子供を産む機会が奪われるわけではないけれど、

全く自分の体を疑いもしてこなかった自分を呪い、怒り、とにかく怖くて不安で泣きました。

道で、

近所の友人宅で、

そりゃあもう大泣き。

いまなら笑っちゃう。

 

でも、女性にとって、婦人科系の診断はそういうものなんだと思うのです。

怖くて当然。不安で当然。自分を責めてしまうものなのだと。

 

 

だから聞いてほしい、伝えたい。

震えて泣いてもいい。大丈夫。

 

 

子宮頸がんはレベルによっても違うけれど、

円錐切除が一般的な治療方法で、早産の可能性が上がるといわれています。

もちろん、円錐切除をしても産める、とも。

重篤であれば子宮の全摘もありえる、とも。

調べれば、恐ろしいほど情報が流れ込んでくる。

 

どんな結果の先にも、形を変え、方向を変え、

必ず道が繋がっていると信じたい。

でも渦中、分岐点すら見渡せないでいる時は、怖い。

 

自分の知らない間に、無くしてしまったことがあることに、

もう取り返せない遥か道の先で気がつくことは、

そうかもしれないと疑うことは、言葉にできないくらい怖い。

 

 

紆余曲折、巡り巡って、とてもいいお医者様に出会えたことで、

私は円錐のように大きく切らず、焼灼と組み合わせて少し削るように取る手術を、ものの一瞬で終えました。

 

さくっと、10分くらい。

本当に一瞬。

痛みもなし。

 

術後の検査でも、陰性。

先日受けた、術後初めての定期検診でも、陰性。

一安心。

 

私は、進行の早いタイプではあったけれど、重篤ではありませんでした。

 

だから、

私より大きな不安を今も抱えている方には、

こんなことで揺らいでいるなんてとお叱りを受けるかもしれない。

 

でも、

 

手術の大変さや、診断の重篤さよりも、

婦人科にかかったということが、より子どもを持つ選択肢を強く意識させる出来事だったので

あえて、ここに書くことにしたのです。

 

正直なところ、母になりたい!と積極的に、情熱を持って思ったことは、今までないかもしれないのです。

 

なんとなく、

「いつかはそんなこともあるんだろうな」

「明日も朝ちゃんと目覚めるだろうな」

くらいの感覚で抱いてきました。

 

でもじゃあ、もし症状がより重く、

今選択を、といわれていたら?

 

子供がいる未来の二人を想像してみれば、

それはとっても自然に、鮮明に、匂いや色を伴って浮かび上がってくるのです。

こんな未来があってもいい。

 

「私は母にはなりません!」と確信を持って宣言できるかと言われれば、

それはできないということだけは、この時点ではっきりわかりました。

そして、そこには何を投げ打っても親になりたい!と宣言できないことへの後ろめたい気持ちも。

 

「今」だから判断できないのかもしれない。

でも、「いつか」は欲しいのかもしれない。

 

 

そんなとき、

「卵子凍結」ができるクリニックの話を小耳に挟むのです。