今日までお仕事おやすみ。4連休でした。
土曜日は稲葉さんのソロライブで福岡日帰り旅で、長い1日なりましたが、
日月はゆっくり出来て、
久しぶりに義母さんの所に行ったりの日常でした。
私も風邪をひいてたり何かと予定が入って、
2週間程行けてなかったのですが、
その間、義母から連絡入る事はなくて、勝手に「私の予定を優先してくれてそうだな。」
と感じて、それにも感謝でした。
基本、自分の思う通りに言動できる義母だし、
会ってるときには、
振り回されてる感が否めないけれど、
義母は基本自立心が強かったり、
家族以外に頼める人がいてくれるので、
「嫁として〇〇すべき」という罪悪感的なものを、必要以上に思わされるような事は無いので、
優しくて強い人なんだと思います。
何年とでなるべく距離を取るようにしてたし、
今でも、、おーー口調強いなーとか、
苦手に感じる事はありますけれど。
それ以上にきっと私も足りない所が
あると思いますので、、
めっちゃプライベートな話になりました。
前回のblogの日記部分は全部消えてしまって、
写真だけだったのですけど、
当日、まさかのヒカルちゃんもライブかぶり、
駐車場見つかるかな〜
大雨予報で高速もゆっくりなりそうだし、
と出発時少し心配もあったけれど、
道中大雨にあったのは20分くらいで、
駐車場も会場駐車場に待たずに停めれて、
帰りもアンコール最後の曲を聴きながら、
会場を出たので駐車場から1番のりで出れました。
23:30には帰り着く事が出来て、
モモちゃんは一切粗相もなく、
お利口さんにお留守番してくれてて、
モモにも大感謝でした
稲葉さん2時間半近く、
もの凄い声量でパワフルで、
ハイトーンのイメージと思われますが、
MCでは低音のトークの響き。
稲葉さんからは、
鍛錬、大人、色気、謙虚、パワフル、
いろんなイメージが沸くけど、
声にも、
色んな音色感触が同時に出てるような、
複雑さを感じるのでした。
以下は、ヴォーカリストを研究してる方の文章読んで、確かに〜と思ったのでコピペさせてください。長くなるけど。
稲葉さんの歌を上手いと言う人は、
ハイトーンヴォイス、シャウト、ライブでも乱れない声の安定感、唯一無二の発声スタイルなどを高く評価しているようです。
一方で稲葉さんの歌を下手だと言う人は、
語尾を裏返すような独特な声の出し方を苦手に感じる、表現力が足りない(やや一辺倒の歌い方をする)、声が薄いなどと見ているようです。
ちなみに筆者は、稲葉さんの歌は国内のプロヴォーカリストの中で何本かの指に入るほど上手いと考えています。
理由は、歌い方のクレバーさ・安定感・ピッチの良さ・一定のリズム対応力・高い音域を持つハイトーンヴォイス・唯一無二の声・鋭いシャウトなどを持っているからです。
これは筆者が稲葉さんに肩入れした評価というわけではなく、絶対音感などの様々な音楽受容体とも言えるものを駆使して判断した結果です。
特に稲葉さんのミドルヴォイスは、裏声の成分に地声の成分を混ぜるという要素が強いです。
歌い出しの時点で「んあ」といったようなかすかな音が聞こえることが多いですが、
あれは声帯周りをうまく形作って裏声に地声を混ぜて発声している音なのです。
また語尾を裏返すような声も稲葉さんの代表的な特徴ですが、これは裏声に地声を入れるフォームをやめる(元に戻す)時に出る音を、表現として活用したものです。
もちろん音を出さずに元に戻すこともできるのですが、おそらくオリジナリティとして昇華しているのでしょう。
2週間前くらいにアップされた中田英寿さんとの対談動画を。
前回消えたブログとは違う内容になったけど、追記できてスッキリしました。
それではbss初級④〜日常の信仰Ⅱ〜
1時間くらいのものから今回は前半の半分を。
更に長くなりますけど。
日常生活で用いる信仰の中に隠された一定の法則を探る。
行いが伴わないなら、信仰はそれだけでは死んだものです。
わたしの兄弟たち、自分は信仰を持っていると言う者がいても、行いが伴わなければ、何の役に立つでしょうか。
そのような信仰が、彼を救うことができるでしょうか。(ヤコブ書)
言葉の次に「行動」が必要になってきます。
世の中でいう「行動力」とは意味が少し違うものです。
火事場の馬鹿力/という言葉もありますが、そのような力は意識したからといって出てくるものではない。
今回の「行う」とは、そのような無意識の中の力を発揮していく事。
前回、女性は「その衣にだに触らば救はれん」と自らいへり。
彼女は、言葉を発信しただけで、じっとしていたら、もちろん何も起こらなかったでしょう。
彼女は群衆に突入していった訳ですが、
意識的に行動したというより、
(頭で考えてると、群衆の中に入るのに恐れがきたりして行動出来なかったかもしれない。)
どちらかというと、なり振り構わない行動で、あまり意識せず動いていたように思います。
人間の腹(霊)は少し先のことが分かる。
頭で行動するときよりも、腹は反射的に動く事が出来る。
それは行動力というのとは少し違う。
頭で計画して動く時とは少し違うルート。
彼女は気が付いたらイエスに触れていた。体が動いていた。そんな感じだと思います。
行動力というより反射力。
頭での行動には限界があるけれど、
自分の霊で反射する。
これは訓練も必要で、信仰に限らず、
世の中の事でも、例えばスポーツの世界でも反射力を養っている。
熱いものに触れた瞬間にパッと手が離れる。この速さは頭でやろうとしても出来ない速さ。
スポーツ選手はそのような反射力をいかにしてコントロールして出せるようにを訓練している。武道もそう。
霊の世界・信仰の世界も似てるところがあり、我々も腹で感知した感覚に反射的に行動できるように、訓練していくとそうなっていく。
あなたが神に望んでいるものを、受け取るか、受け取らないかは、あなたの行動によります。
それは、腹に応じた反射です。
頭からすると、
ほぼ無意識の行動をとっています。
そんな事あるだろうか?と思われると思います。経験体験していく必要があります。
まず願いが与えられ、
祈りが与えられ、
二、三の証人と共に時が与えられ、
行動に移します。
この行動の特徴として
平安と確信の入り混じった感覚がある。
決して焦りではない。
武道の精神で「静の中に動があり、動の中に静がある。」という言葉がある。
外側は燃えているけれど内側は冷静である。その感じにも似ている。
この女性も外側から見ると、群衆に突っ込んで行って、もの凄く見えるけれど、
内側には喜びと平安があった状態。
思考や感情(気が向くまで行動しないというのは感情優先の行動)の行動ではなく、
(常に祈っていて)チャンスが来たときに腹で反射的に行動できる。
これが法則の一つ。
世の中も段取りや準備が8割を占めていて、
後の2割で完成させる。
これは信仰の世界でも似ていて、
願いが与えられ、
祈りが与えられ、
証人が与えられ、
その準備段階は8割程占めていて、
実際に時が来て行動に移すのは2割。
その時は反射的に行動している。
反射的とはいえ、落ち着いてゆったりした余裕があり、決して焦らず、私利私欲に振り回されていない。
目先で得する事で選んでいない。
ただ、今が時だという事が分かって動ける。
何となく上の事分かる気がするし、
体験もあると思う、
でもまだまだ経験不足なので、
私的に言語化するには難しいなといった所。
それでは、よい朝〜よいひとときがありますように。
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