過去を、話すのは苦手。
しかし今日、弟が私の青春をFacebookにあげたから、、、なんか思い出しちゃった

私の青春は全て、ソコにあった。
私が一番大好きな本、村上春樹の『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』
まさにそんな世界。
私の弟はまぁまぁ有名なテクノのDJでドイツのメイデイにも出たし、今はDJを半分引退し香港に住んでいます。
ここから弟のFacebook引用
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回帰録 PIKAPIKAの高校1年生。
イギリスのSuffolk週Herringswellにあった英国四天王寺学園が僕の母校。
バブルもBangして、今は母校は閉鎖となっている。海外の日本人学校、所謂バブルの象徴のひとつである。
四人いる兄弟の2番目の姉は僕の2つ上。中学一年生からここに来てた。
そんな姉の卒業式が近づく中、姉に「あんたお父さんとお母さんが来る1日前から外出許可取っといたから、お父さんお母さんヒースローに向かいに行く前に、前日にロンドン教えたるわ」
普段は寮暮らし、週末にスクールバスで行く限られた時間以外は外出不可。そんなまだロンドンのリアルを僕は知らない。
お姉ちゃんはそんな塀暮らしの中からロンドンナイトライフへと連れ出してくれた。
そしてその日が、僕の人生が大きく揺れ動いた日となった。
僕は先輩に勧められた、まだ日本でも爆発的に広がっていなかったお気に入りのStussyのcapを被り、先輩からもらったVANSのスニーカーを履いて準備万端。高校に入ってスケーター(当時はダボカジ)に行くか、ブーツカットにマーチンやレッド・ウィングを履くかの分かれ道。
全く何も知らない中、Earls courtのB&Bに連れていかれ、夜は待ち合わせしていたお姉ちゃんの友達と大勢でGloucester Roadのメキシカン料理で初めて生ライムを入れるSOLを知り、初めてチキンシーザーサラダを食べた。日本ではキャベツの千切りかレタスをフレンチドレッシングで辛うじて食べていた時代に、こんな美味しいドレッシングがあるのかとビビった記憶。
なんか二個上の先輩達がすごくイケてる大人に見えた。
まあ、いわゆるボンボン達である。親のクレカを使い、高校生のくせにゴルチェやROLEXを身につけ、夏休みや冬休み中にたくさん遊びを覚えた人達だ。
そしていよいよ真夜中から本番のロンドンナイトライフが始まる。連れて行かれたのはGayの聖地Club Heavenの超人気パーティ【G.A.Y】。
そう言えば食事中に「今日ジーエーワイがあるから」とはしゃいでいたのはこういう事だったのか。
先輩が言った。「音楽はGay Partyの方がいいねん」
何度も言う、僕は大阪の片隅から来たPikaPikaの一年生。クラブだのゲイパーティーだの言われても何もわからない。
中学はもっぱら愛読書は宝島。ビデオはVOS。四時ですよーだで育ち、ブルーハーツが一番好きになったバンドで、次にNew Rotekaにはまって、瀧さんが海パンでハンバーガーを買いに行く、VOSのそんな1コーナー電気グルーヴ的ごころで電気グルーヴを知る。なんなんだこの人達とWe are so we areとおっぱいボヨヨンムッチッチーのフラッシュパパである。それが僕のキャパシティだった。それも全てUKに住んでいたお姉ちゃんの影響である。
ボディチェックでできる行列で1時間は待たされる。当時のロンドンの人気パーティーでは、それが当たり前だった。
エントランスは確か6ポンドぐらい。中に入ると大音量が響き、ブラックライトの明かりだけを頼りに、必死に先輩の後ろをついていく。
すでに超満員。歩くのもままならない。なんとか友達と手を取り合ってダンスフロアーに着いたら、着飾ったオシャレな人達が踊り狂い、楽しんでいる。黒人、白人、アジア人、背が異様に高いドラッグクイーン達。
白黒黄色、国籍、そこにはそんなもの関係ない。同性同士でハグやキスを交わし、知らない人から話かけられて水をもらい、おじさんからナンパされたり 笑、DJが流す当時の所謂RAVE MUSICで、めちゃくちゃ盛り上がっている。人生で初めて見た世界一のPeacefulな場所だったのだ。
何度も言う、僕は大阪の万博の近くから来たピカピカの一年生。湾岸戦争が起こり、アパルトヘイトや、歴史で士農工商の下を知り、道徳の時間で日本にある踏み切り向こうを知る。
朝鮮人や中国人の区別もつかず、黒人、同性愛、偏った教育で作りあげられた僕は鼻水垂らしたクソガキ。そんなファックな偏見は一瞬にして飛び去った。
これが僕が生まれて初めて見た、クラブという存在だった。
生まれた所や皮膚や目の色で、いったいこの僕の...ヒロトが言う青空が本当にそこにあった。
その夜、レコードを回し、誰よりも一番光輝いて見えたDJを見て、その瞬間にDJになりたいと決心した。
「姉ちゃん、俺、将来DJになるわ」
つづく
と、まぁ弟の話は続きますが、、
思春期の弟の全ては私だった。
ブールハーツ、ニューロテカ、4時ですよーだ。私が教えた訳ではないですが、勝手に真似してた(笑)
そして私の青春は全てソコでした。
時効だからいいかなぁ(笑)
クラブ、酒、タバコ、ドラッグ、、、、
そんな世界でした。
でも弟は知らない。
卒業式のその後。
両親とヒースローから大阪までの12時間。
私はイギリスから離れたくなくて、ずっと泣きじゃくって、、、、そしてその時に私の半分のハートをロンドンに置いていくと誓った。
そして、今だにまだ半分足りないままなんだよ

いつかはまた取り戻しにいくつもりなんだけどね。