ケンは8年前、3歳で渡米しました。
未熟児で生まれ、「脳性麻痺」で
今も車椅子の生活です。
日本では、母子通園で毎日「療育園」へ通っていました。
そのころの日記はこちらで↓
「ケンのリハビリ日記」
http://www.geocities.co.jp/SweetHome/2803/index01.htm
主人の赴任で来るアメリカ生活になんの準備もしていなかった私は
ネットで障害児についていろいろ調べていました。
そのとき見つけたHPが「PHP JAPAN」という非営利団体。
その名の通り「ペアレンツヘルプペアレンツ」
障害者を持つ家族同士のネットワークとさまざまな情報をシェア出来るところ。
私は早速、渡米前に代表者の一枝さんとコンタクトをとりました。
「とにかくこちらに来たらすぐにオフィスへいらっしゃいね。」
渡米後、家族全員で一枝さんを訪ねました。
英語もわからず、道ですれ違いに微笑む外人さんに怯えていた私は
日本語で話せる安心感でいっぱいだったことを今でも覚えています。
そんな私の気持ちを知っていたのか、一枝さんは明るくケラケラ笑いながら、
こう言いました。
「お母さん、今まで大変だったでしょう?いいのよ~。これからはラクしてね。」
ラク?ラクしてねって言ったよね?
それまでの私は、「お母さん、がんばりましょうね。」「はい、がんばります。」
が、合い言葉だったので一枝さんが言っている意味がいまいちピンときませんでした。
その数日後、引っ越しの荷物がまだ半分しか届いていない我が家に
リージョナルセンターからふたりのアメリカ人がやってきました。
リージョナルセンターというのは、おおまかに言うと、
学童期(キンダーから12年生)以外の障害者のお世話をしてくれるところ。
主人立ち会いのもと、ひとりはいままでのケンの様子を細かく聞き、
もうひとりは、ケンと向き合っていろんなテストをしていました。
1時間くらい経ったでしょうか。。。
「OK! わかりました。これから私たちがヘルプしますので何でも言って下さい。」
「お母さんがラクになることが一番大切です。」
あ、また言われた!ラクになってもいいの?
正直、びっくりしました。
でも、このとき 「お母さん、がんばりましょうね。」「はい、がんばります。」
という言葉がまるで呪文が解けるように
なにか大きなプレッシャーが、私の中から消えていきました。
漠然と、でもしっかりと
「ここで生活していきたい!何かが変わるような気がする。」
と、初めて思いました。
そんな2001年3月の話。。。
