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昨日は父の命日でした。

当時、音楽学生だったわたしを含め4人の子供と奥さん(母)を残して、46歳でお空に帰っていった父。

お酒を飲みすぎて肝硬変になったことが原因。
その当時は、父の気持ちや背景を理解出来ず、お酒に逃げる弱い人として見たり、そんな父を持つ自分を恥ずかしいと思うわたしがいました。

でも自分が、父が亡くなった年齢を超えるあたりから、お酒を飲まなきゃいられなかった気持ちや背景を少しずつ理解できるようになって来た気がします。

父は、お金を気にせず好きなことをする自由奔放な人だったので、わたしたちにも好きなことを思う存分やらせてくれました(母は相当大変だったと、のちに話てくれましたが…愚痴を言わずやらせてくれた母にも感謝しかないです)

わたしには音楽という素晴らしい宝を与えてくれました。
わたしのリズム感は昔ドラムをやってた父からもらったもの。
手先の器用さも父からもらったものです。

エレクトーンやピアノのレッスンにも通わせてくれて、度重なる楽器の買い替え、さらには今教室として使っているアトリエまで作ってくれました。

当時はそれを当たり前のように思ってたけど、自分が親になってみて、それがどれだけ大変で尊いことか知り、それがとてつもなく大きな愛だったことにようやく気付きました。

そしてその愛を心から受け取ることができた時に、恥ずかしさが感謝と尊敬にひっくり変わり、わたしの周りは豊かさで溢れ出しました。

昨日は、お墓で父と話をしました。
感謝の気持ち、父を否定してしまっていたことへの謝罪、父からもらった宝をこれから存分に活かしていく決意、そのためにサポートして欲しいこと。

こんな風にゆっくりお話することは今まで無かったけど、素直な心で正直に話しができました。

数年前までは、無意識に恥ずかしい自分(劣等感)を隠すために音楽を使って何者かになろうとしたり、「自分には価値が無い」という欠乏感を埋めるために講師として人の役に立とうとしたり、優秀な生徒を育てて認められようと努力したり。かなり傲慢な自分でした。
(そんな過去の自分も今は愛おしく思っています)

その頃は自分や家族の人間関係、健康、お金のトラブルがよく起きていたけど、それはお父さんが「間違った方向に進んでるよ」と教えてくれるサインだったんじゃないかなって思う。

自分の中にある劣等感に気付き、何者かになろうとするのをやめて、小さな小さな自分を大事にしていったら、自分の音が大好きになって、純粋に音楽を楽しんでるだけでたくさんのご縁が運ばれてきました。

この場を借りて、出会ってくださってる皆さま、本当にありがとうございます。

たくさんの方と音を奏で響き合うたびに、わたしの心が喜びに溢れるのは、わたしの中の神さま=お父さんやご先祖さまからいただいたいのちが喜んでいるからなんだなぁと思います。

昨日は集った仲間たちと一緒に響き合いながら、深い深い体験をしました。
やっぱり音ってすごいね。

これからも自分の中の神さまを喜ばせながら、音でつながり、響き合う優しい世界をたくさんの方々と共に体験していけたらいいなぁと思います。

お父さんに守られてるから
きっと大丈夫だね!

全てに感謝

(忘備録2024年7月5日)